台北駐日経済文化代表処
台湾ニュースより
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馬英九総統が台湾人元慰安婦らと会見
Post Date:2008/12/25
馬英九総統が台湾人元慰安婦らと会見
馬英九総統は12月24日、総統府で台湾人元慰安婦8名らと
会見した。
馬総統は、台湾人元慰安婦の名誉回復活動に関心をもって参与
してきたとして、1997年に婦女救援基金会が制作した台湾人
元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動に関
わったほか、王清峰・現法務部長(法相)が元慰安婦の対日訴訟
を支援した際に、王氏による国際宣伝のための英文原稿の執筆を
当時政治大学に在籍していた馬総統が手伝い、馬総統が台北市長
時代にイスラエルのユダヤ博物館を訪問した際には、慰安婦に関
する記録映画を寄贈したことなどを話した。
第二次世界大戦中に起こった慰安婦問題について、馬総統は
「元慰安婦の名誉回復問題は台湾に限ったことではなく、相当広
い地域に及んでおり、これは特定の民族問題ではなく、人権問題
である。歴史の過ちは許すことはできるが、同じ轍を踏まないた
めにも、絶対に忘れることはできない」と強調した。
元慰安婦らが日本に国家賠償を求めていることについて、馬総
統は「今後も引き続き関心を持っていく」と述べ、歴史教科書に
慰安婦問題を記載することについても支持する意向を表明した。
【総統府 2008年12月24日】
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これに対し、1950年代後半に「軍中楽園医務室」に勤務して
いた医師が、28日付自由時報に投書した記事を紹介したい:
1951年から、中華民国政府が軍人のセックスを解決するため
に、外島と台湾本島とを問わず、いたるところに軍中楽園(「八
三一」とか「軍中茶室」とも呼ばれた。要は慰安所)を設けたが、
その慰安婦の来源は、親に売られたもの、売春婦が志願したもの
など、さまざまあるが、最も多かったのは、私娼が警察に捕まっ
て送られてきたものだ。特に、14、5歳で、公娼の許可を受け
る資格がない私娼は、一度捕まると、逃げないように、必ず前線
の軍中楽園の慰安婦とされた。
軍中楽園の医務室で、16歳の少女が毎日泣いているのを見かけ
た。彼女は萬華の私娼だったが、その年、軍中慰安婦が不足して、
警務処では私娼掃蕩を命じ、大量の売春婦を軍中楽園に送ってき
た。この少女もその中の一人だった。私が軍中でも同じように金
を稼げるのにどうしてそんなに悲しむのかと問うと、彼女は、一
日に何十人もの若くて力のある兵士の相手をするのは負担が多く、
下半身が痛んでも休みを取ることができない(性病でなければ)。
私娼の店では客はそれほど多くなく、また一度に得られる収入も
5、6倍だ。軍中楽園にいるのは、まるで受刑囚のようだ、と答
えた。
軍中楽園の数、人数、期間(1950年代のはじめから1970
年代末)から推計すると、少なくとも一万人以上の慰安婦がいた
はずだ。
馬総統は、日本軍の台湾人慰安婦に同情するのと同じように、中
華民国軍の台湾人慰安婦に同情してもらいたい。馬総統であれば、
何千人もが政府から補償と謝罪を得るために力を貸すことが出来
るはずである。
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
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