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  • 2008年12月28日日曜日

    「台湾の声」【論説】満州事変と日米戦争

    【論説】満州事変と日米戦争

           時局心話会 代表 山本善心

     航空自衛隊の田母神俊雄幕僚長による「日本は侵略国家であったか」と題
    する論文を、前2回にわたって紹介した。政府は「政府見解(村山談話)と異
    なる」との理由で更迭したが、田母神氏の思想や哲学に共鳴する国民の関
    心が、波紋を広げている。

     各紙の論客もそれぞれ意見を発表している。毎日新聞(08.11.21)が掲
    載した田中明彦・東大教授(国際政治学)の「自衛官と世間の交流を」を読
    んだ人から「具体性がなく稚拙な内容で、これは単なる批判文ではないか」と
    の意見が寄せられた。

     筆者もさっそく目を通したが、田中氏は「このような怪しげな人物がお山の
    大将になるから、組織がおかしいか、教育がおかしい」と切って捨てている。
    しかしどこがおかしいのか、具体的に指摘していない。冷静に田母神論文を
    読めば、この批判は的を射ていない。


    身勝手な歴史解釈


     一方、同時掲載された吉田裕・一橋大教授(日本近代史)は「満州事変は
    関東軍の一方的謀略で開始されたものだし、日中戦争の場合も派兵に際し
    て事前了解を得た事実はない」と断定している。しかし日本の謀略をいう前
    に、関東軍を取り巻く米欧、ソ連、中国の干渉や対日謀略が抜け落ちては
    いまいか。

     吉田教授は「満州事変以降侵略戦争を行ったのが日本外交史の常識で
    あり、田母神説は陰謀史観だ」という。彼らの戦後史観が政府の公式見解
    と同じ「村山談話」であるが、今や良識ある国民の大勢からこれらの内容に
    不信と不満が噴出している。つまり村山談話以外は認めない、という姿勢は
    いかがなものであろうか。

     筆者はかつての戦争を美化したり聖戦視したりするつもりはない。しかし
    あの不幸な戦争をどう評価するかをめぐって、各論者間に視点や見解の相
    違があるのは致し方のないことだ。しかし異なる見解を許すのが「自由と平
    等」の原則ではないかとつねづね思っている。


    筆者の中国体験


     筆者は5歳で終戦を迎え、北京から天津を経由して佐世保に引き揚げて
    きた。敗戦と共に「ソ連軍がやってくるので早く荷物をまとめて、これから日
    本に帰るのです」と言った母の厳しい表情を、今も鮮明に覚えている。子供
    心に事態の重大さを感じ、父の好きな煙草であるゴールデンバットとひかり
    の束、それに毛布を持って貨物列車に乗り込んだ。

     天津から日本の佐世保港に着くと、米軍のMPが埠頭で待機していた。婦
    女子はトラックに乗せられ、男子はパンツにオーバーコートを着せられDDT
    で消毒された。威厳のあった父の哀れな姿を見て、子供心に「日本は戦争
    に負けた」と実感した。

     今から思えば、父は満鉄医師であったが政治に関心が深く、ソ連が怖かっ
    たと回想した。日中戦争にあっても、日中の市民は助け合って生き抜いたが、
    ソ連と中国共産党は日本軍や居留民に対する執拗な謀略・攻撃の手をゆる
    めなかった。突然「日本が中国を侵略した」といわれるようになったが、当時
    父は「多くの兵士と居留民は自衛のために戦った」と語るのだった。

    米国の対日包囲網

     戦後日本近代史では「大東亜戦争の責任は日本にある」と一方的に論じら
    れてきた。しかもGHQにより「太平洋戦争」に名称が変更される。戦後、米
    国やソ連の動きを事実上不問に付した上で日本罪悪論を言う知識人や政
    治家の発言は、日本人だとはいえまい。吉田教授のいう「関東軍の一方的
    謀略で開始された」はあくまで一方的であり、あらゆる状況を検証した上で
    の意見ではない。

     戦前の米国は一貫したアジア極東戦略を持ち、白人に立ち向かう日本の
    アジア植民地解放と「大東亜共栄圏」構想に敵意を抱いた。当時のアジア
    諸国は列強の侵略と植民地化にさらされており、日本は欧米諸国の権益
    を脅かす存在となる。

     米国による当時の対日戦略とは、�日本が持つ満州の権益に介入する、
    �中国の反日ナショナリズムを育成して日中間を分断する、�中国の反日
    闘争を支援し資金面と軍事面の援助を行う、�中国内で日本軍の体力を
    消耗させた上で参戦する、というものであった。


    ソ連コミンテルンの動き


     一方、1917年にロシア革命が起こり、新しいソ連が生まれる。世界を共
    産化する革命の本部として設立したコミンテルンは、1921年に中国共産
    党の満州支部を結成。1929年には共産パルチザン(極左暴力革命集団)
    活動を推進して、反日活動の拠点とした。

     ソ連はシベリア鉄道の延長による複線化など、満州における極東ソ連軍
    の軍備を増強した。さらに米国は中国国民党政権に資金・軍備支援を行い、
    満州に駐留する日本軍を苦しめた。ソ連と国交を樹立したルーズベルト政
    権は、日本と国境を接するソ連軍と組んで対日戦線の強化を行い、関東軍
    の殲滅を意図したと見られている。


     ソ連コミンテルンは中国共産党の満州支部を支配し、東支那鉄道及び満
    州の北西地域を完全に制圧、影響下に収めた。彼らは日本の居留民団な
    ど満州の日本人社会に対して、公称108件(実際は300件以上)に及ぶ残
    酷な放火・略奪・暴行事件を引き起こしている。ソ連は関東軍を満州から追
    い出す手段として、謀略の限り
    を尽くした。


    満州事変の真相は闇の中


     一方「反日活動をエスカレートさせる張作霖に敵意を抱いた当時の関東
    軍が、1928年に爆殺事件を起こし、満州事変の引き金になった」が定説
    であった。しかし2006年のソ連情報部機関の資料では「ソ連が実行した」
    とある。東京裁判で爆破の証言をした河本大作大佐は、ソ連で抑留中に洗
    脳されたソ連国家保安省が準備した内容を証言したとされている。

     満州の支配者だった張作霖は、米国の力を得て排日運動を推進。さらに
    満鉄の経営妨害、鉱山の採取権の否認、鉱物の輸送制限、農林水産業の
    妨害、立ち退き強制など、日本人居留民の生活を圧迫して、日本軍に徹底
    抗戦、妨害の限りを尽くしたのは周知のことである。

     満州独立は満州人の願いであるが、満州人には強力な指導者が現れな
    かった。満州事変の勃発後は各地に散らばる有力者が集まり、独立を求
    める声があがる。満州国民は中国の戦乱に巻き込まれることを嫌い、平和
    と安全を守る「保境安民」という運動が全土に広がった。旧満州人がいまだ
    に親日的なのは、関東軍が満州独立と近代化に力を貸したからであろう。


    満州国建国に寄与


     19世紀後半の国際社会はジャングルと同じ、弱肉強食がまかり通る実
    力社会であった。経済と武力の弱い韓国は中国とソ連に狙われたが、日
    本は自衛を目的として韓国を併合し、莫大な国富を投入した。満州は清
    の崩壊以来、軍事や経済面で自立できず、弱小国家ゆえに列強からハ
    イエナのように寄ってたかって狙われた。

     日本は日露戦争で勝利を収め、米英の調停によって1905年にポーツ
    マス条約を締結した。その結果、日本は旅順・大連・南満州の権益を確
    保する。またこれらの地域にまたがる約1000�の南満州鉄道を敷き、
    産業を興して繁栄を築き、関東軍によって治安を改善した。


     日本は15年間満州の近代化に尽力し、インフラ整備に膨大な国富を注
    ぎ、当時としては平和な別天地に発展させた。その当時の状況を物語る数
    多くの雑誌や資料を保管している。これらの資料は戦後GHQが日本の警察
    に指示して全家庭から没収させたが、なぜか我が家には残されていた。


    「大東亜共栄圏」構想の実現


     1931年には満鉄爆破事件をきっかけに柳条湖事件が起こる。「この問
    題を起点に満州事変が始まり、中国侵略の第一歩になった」と東京裁判で
    は一方的に裁断した。この短い文章で語り尽くすには限界があるが、満州
    事変は四半世紀にわたる中国の排日侮日政策による必然的結果を招いた
    ものだ。さらにソ連コミンテルンの謀略、米国の圧力が地下でうごめく複雑
    怪奇な動きは、すべて日本を標的とするものだった。
     
     当初、日本軍は「大東亜共栄圏」の旗印の下、アジア諸国の植民地化に抵
    抗し、独立に寄与する政策を推進した。これは白人社会である米国やソ連、
    欧州諸国を敵にすることである。すなわち欧州諸国との協調路線でなく満州
    建国の道を選択したことが、すべての敗北に起因していよう。日本はアジア
    独立路線を選択することで欧米と敵対し、四面楚歌となる。その後、悲劇の
    日米戦争が始まるのだった。

     田母神論文には、アジア諸国も大きな関心を寄せている。日本の近代史、
    ひいては歴史認識問題に大きな風穴を開けたといえよう。「大東亜共栄圏」
    とはアジア諸国の独立と解放、共存共栄による経済繁栄が理念の骨子であ
    る。戦後、欧米列強によるアジアの植民地国家は抑圧と不自由から解放さ
    れ、独立国家となった。今や世界に、A級戦犯とされた東條英機元首相が
    最も力を入れた「大東亜共栄圏」構想の理念による新アジア時代がやって
    きたようだ。

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