【傳田晴久の臺灣通信】「荘進源回顧録」
1. はじめに
昨年(2013年)5月、南部歌会の時、「荘進源回顧録(中文版)」を頂き、3カ月後に日文版を頂いた。その時点では荘進源氏については全く存じ上げていなかったが、高雄の志の会でこの方はすごい方で、台湾の環境行政を切り開いた元日本人であるとの紹介を受け、読んでみようという気になった。氏は台湾歌壇の会員でもあります。
回顧録の帯には「当時の荘進源局長の快刀乱麻を断つ行動がなければ、現在の台湾の環境保護は世界の先進国家に追いつかなかった・・・・・」(李登輝氏の推薦の辞より)とあり、さらに「日本統治下の台湾で日本国民として育った著者は、戦後京都大学大学院に留学。やがて日本でいえば環境庁長官にあたる台湾の環境保護行政のトップとなって、カドミウム汚染問題、騒音問題、ゴミ処理、ダイオキシン被害の阻止、自動車等の排ガス対策、環境アセスメントの導入などと、現代社会が抱える問題へと立ち向かっていく。本書は、著者自身が日本語で書いた自伝であり、日本人に読んでもらいたい台湾戦後史の一面である」とあります。
読み終わり、私は氏の環境行政への貢献と台湾戦後史の一面を台湾通信でご紹介したいと考えました。
2. 荘進源回顧録の意義
李登輝氏は「推薦の辞」の最後に「わけても特に日本の皆様はこの本をよく閲読され、日本の経験を学んだ著者が環境保全の領域で成し遂げた貢献を了解なさり、さらに一歩進んで過去の社会が重視した醇美の特性について認識を新たにされることを期待します」と述べておられます。「醇美」(じゅんび)は難しい言葉ですが、人情がこまやかで、素朴な美しさがあるという意味だそうです。台湾が大好きという日本人が昨今増えているのは、この辺に鍵があるのかもしれません。
この本をお読みになると、現在台湾を統治している人々(国民党)がいかなる人々か、理解が進むと思います。同時に私たち日本人が戦後見失ったのではないかと思われることが何なのかに、思い至るのではないでしょうか。
3. 荘進源氏の業績(ゴミ処理問題)
前述のように荘進源氏は環境保護行政に関し、多岐にわたる問題解決に取り組まれましたが、私は「ゴミ処理」の問題に特に関心があります。
私が初めて台湾に来たのは1981(昭和56)年でしたが、その頃、台北から基隆に向かう高速道路の右側にとてつもなく大きなゴミの山を見かけたように記憶しています。ゴミの山の頂にブルドーザーがおり、ゴミを処理していたように思う。再び台湾に来るようになったのは2000年頃であるが、その時には見ることはなかった。あのとてつもなく大きなゴミの山は一体どうなったのだろうかと気にしてはいたが、それ以上調べようとはしていなかった。今回、荘進源氏がゴミ処理問題にも取り組まれたことを知り、回顧録に出てくるか興味があった。
ゴミ処理の方法は(1)埋め立て、(2)堆肥、(3)焼却の三種類あるが、台湾では終戦(1945年)までは都市では埋め立て、農村では堆肥であったが、戦後1970年までは埋め立て一本であったと言います。70年代は都市人口の増加に伴いゴミの量が増え、埋め立てをする土地が減少し、埋め立て処理が困難になってきたため、焼却処理の必要性が増してきた。しかし、焼却処理に対する反対意見(コスト、大気汚染)が多かったが、公平なコスト比較、焼却炉の技術革新などを経て、「焼却を主、埋め立てを副」とする考え方で、台北市に発電式ゴミ焼却炉を建設した。現在では3か所の近代式焼却炉で台北市全部のゴミを「余裕綽々」で処理している。
ゴミ処理費の徴収は「汚染者支払いの原則」に徹し、ゴミ収集専用のポリ袋を販売し、ゴミ収集車はその袋のみ受け付けるという方法を取った。その結果、各家庭はゴミ処理の発生を抑える努力をした。
ゴミ収集車は日本の密閉圧縮式ゴミ収集車を購入し、その収集車にオルゴールを取り付け、主婦たちに収集車がやってきた時の合図とした。荘進源氏はオルゴールの音楽を軍艦マーチにしたいと思ったが、結局「乙女の祈り」にしたと言います。私が住む台南でも、「乙女の祈り」のオルゴールを聞きつけた多くの人々が、ゴミ収集車に集まってきます。
4. 荘進源氏の業績(環境アセスメント問題)
氏の特筆すべきもう一つの業績は環境アセスメントの導入で、以下のように述べておられる。
「環境アセスメントとは事業者が計画中の事業活動で発生する大気汚染、水質汚染、騒音・振動、廃棄物の環境への影響をあらかじめ予測し、それが環境基準に合致するように計画を修正したり、予め汚染除去設備を付けて、公害を未然に防ぐ手法です。今まで事業者は生産ばかり考え、廃棄物の処理を考慮しないか疎かにした結果、公害が発生したのです。発生した後に防止設備を付けても効果があまり上がらない状況があるので、矢張り生産設備と一緒に防止設備を付けるのが得策なのです」
私はロジスティクスを研究しているものですが、この考え方はまさしくロジスティクスが言う所の「ライフサイクルマネジメント」の考え方そのものです。ライフサイクルの初期にライフサイクル全体について対策すべしとの主張です。同様に廃棄物処理についても、「廃棄物が発生してから有効な廃棄物処理技術を採用するより、製造過程でいかにして廃棄物を減らすかを考えることが大切である。汚染処理よりも汚染予防が大切である」と述べておられる。
1983年に環境アセスメント法案を行政院に提出したが、経済部関連部局の反対にあって却下、その後いろいろな経緯を経て、11年後の1994年になってようやく通過したと言うことです。
5. 台湾戦後史の一面
台湾戦後史の一面を語るいくつかのエピソードを述べておられるので、以下に紹介します。
「今の台湾の小学校が知育一点張りで、徳育、体育を疎かにしているのを見ると、昔の小学校の知・徳・体三位一体の教育を懐かしく思い出します。」(P.25)
「教育の根底に誠実と正直が尊いことを当然とする思想が存在していました。日本統治時代の教育を受けた多くの台湾人はごく自然にこの価値観を受け入れ、嘘をつくことが一番嫌われたものでした。このことから、終戦後、中国大陸から来た人達が平気でうそをつくのには、本当にびっくりしました。カルチャーショックと云ってもよいでしょう。個人の嘘以外に政府、政治家までが平気で嘘を言うのには信じがたい気持ちがしました。」(P.32)
「国軍は基隆港に上陸しましたが、台北へと進軍してきたのは約12,000名の先遣隊でした。私はこの国軍の先遣隊を目のあたりにして衝撃を受けました。それまで認識していた軍隊とはあまりに違っていたからです。天秤棒に鍋釜、所帯道具を下げみすぼらしい綿入れ服に身を包み、唐傘を背負い草履履きと言う想像を絶する姿でした。私は汚らしい乞食や浮浪者の大集団が町内に入り込んで、居座るという身の毛がよだつような嫌な想念に包まれました。案に違わず、これらの兵士達は後に略奪、凌辱、殺人とあらゆる限りの悪事を働き、市民の怨みの種となって、228事件の遠因となったのです。」(P.64)
「陳儀が行政公署長官に就任した時、公務員に向かって『不偷懶、不欺騙、不楷油』の訓示を与えました。この訓示は『怠けるな、騙すな、汚職するな』ということで、日本教育を受けた我々にとっては当然の事で、それをもっともらしく訓示していることがおかしく感じました。私どもはその時、中国公務員の汚職の劇しい事を知らなかったのです」(P.65)
「この間(京都大学留学のための出国手続き中)警備総司令部の特務が私のところにやって来て、留学生の動向を監視するスパイになるように慫慂しました。手当もくれ、将来悪いようにはしないとのことでした。(中略)特務は妻のところへも来て主人に勧めるように説得し、『引き受けさせたら貴女にも給料を支給する』と言ったそうです。むろん妻は断りました」(P.108)
「中国国民党が台湾に持ち込んだ悪しき習慣として賄賂があります。特に上位の職位にあるものは自分の影響下にある役職を任命するとき、当然のごとくこれを受け取っていました」(P.168)
6. おわりに
氏の回顧録の一部を紹介させていただきましたが、このほかに実に多くの活動内容や氏の考え方、発想法について述べておられます。李登輝氏が「日本人よく読むべし」とお書きになって居られます。どうぞ、皆さま、お読みください。
この本は「まどか出版」が2013年7月に出版(1800円+税)しています。
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
説明
2014年8月10日日曜日
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