「台湾の声」【来信】台湾の旅より
作者:海原 創(「連帯する日本」札幌幹事)
〔台湾独立建国聯盟日本本部 2014.2.23受信、本人の許可を得て掲載〕
先月6日間、久しぶりに台湾への旅を試みた。
わずか一週間足らずの駆け足旅行で一体何を得たかは自分でも疑わしいが、現地で接してきた台湾のひとびとの生の声や、折しも島の各地で起こりつつある日本統治時代への回帰現象などをこの目で確かめるにおよび、この機会に台湾問題に関する自分への問い掛けを整理し全国の同志諸君とここで共有しておくことも大切ではないかと考えた。
安倍政権発足以来、対中、対韓関係で謳われてきたわが国の方針は「戦略的互恵関係」である。日本政府はこれらの国々に対し常に対話の窓口を開き、いつでも首脳会談に応じるという姿勢である。ただし、歴史認識や従軍慰安婦問題など、彼らが求める条件付きの会談は不公平であり、たとえ実現しても不毛に終わるとしてこれを受け入れないとする。
私はいままで繰り返し述べてきたが、対中、対韓外交の現実的処置は「政治的関係を一定期間遮断する」ことこそ最善であると思うので、その観点から現在の安部内閣の姿勢を支持するものである。政治的関係をたとえ一時的ないしかなり長期間停止したとしても、わが国が失うものよりむしろ彼らの失う経済的、文化的損失は計り知れず大きなものであろうからである。
しかしいったい誰がいつごろから言い出したのか「戦略的互恵関係」という言葉ほど不可解なものはない。幾人かの専門家や講釈師の解説によれば「地政学的、歴史的に利益を共有する緊密な相互関係」ということらしいが、果たして日本国民のどれほどがその意味をきちんと理解できるであろう。上記の解釈で正しいとするならば、このような不思議な造語など振り回さず、より簡略に中、韓両国はわが国と「運命共同体」であるとなぜ言えないのか。そこまで言いきれないところに安倍総理の思想的ジレンマが見え隠れする。
私のつたない知識経験ではどうしても中国、韓国(朝鮮半島と総括してもよい)と日本が運命を共同する関係であるとは思えない。伝統的に「主と従」にこだわる朝貢主義の中国とは、辛亥革命以前も以降も運命を共有する歴史的関係であったためしがないし、一方「正か邪か」「敵か味方か」ばかりを問う朝鮮半島に至っては日本の統治時代を除くいかなる時代にもそのような関係ではなかった。反日に猛り狂う中国や韓国がわが国の主張する互恵関係や共同体意識を抱く筈はなく、日に日にわが国から離反しつつあるではないか。
キリスト教を基盤として見事な広域運命共同体構築に成功しつつあるEUの例をそのままアジアに展化するのはいかにも乱暴である。もしもわが国の外交戦略上「戦略的互恵関係」すなわち「運命共同体」と考えねばならない地域があるとしたら、前述の如くそれは中国、朝鮮といった大陸国家ではなく、実は台湾からフィリピンへ、そしてインドネシアへとつながるシーラインであると考えるのが自然であろう。海洋国家としてのわが国が地理的、歴史的に経済と文化を共有してきたのは東シナ海、台湾海峡、南シナ海というわが国の生命線上の国々であることが疑いもないからである。その中でも特に台湾は日清戦争後五十年の長きにわたり運命と繁栄を共有してきた家族共同体であって、過去も現在も未来もその位置ずけに変わりはないと断言できる。
考えれば、台湾とは世界でもっとも不思議な存在である。九州ほどの国土に二千五百万の人びとが暮らし、アジアでもっとも高い教育レベルを誇り、世界でも十指に入る経済力を有しながら、いまだ世界の大多数の国から独立国として承認されないという異形の大国である。近年WHOなど国連機関のオブザーバーとして参入することはあっても世界の檜舞台で堂々と自由主義の旗を掲げて活躍する機会に恵まれない。中国との関係に遠慮してわが国が外交関係を断絶して以降も、はち切れんばかりに緊密な交流が営まれているのも事実である。
われわれが今日の台湾で注目すべきは、中国の共産党独裁に反旗を翻がえして自由主義を掲げる国民党亡命政権ではない。いまだ日本との運命共同体を忘れず団結する台湾本土の人々の地底の声である。現在の馬英九政権以前に実現した李登輝政権および民進党の陳水扁政権によってにわかに活気を帯びた台湾独立への大合唱はいまでもその余韻を十分残している。この悲痛な叫びは、共産主義を毛嫌いして台湾に逃れ来た蒋介石の残党政権にとってはいかにも厄介な問題であるが、国民党があくまで台湾の軒先を借りている中国の政党であり現在の馬政権が単に反共というだけの中国人代表であることに変わりない。本来の台湾住民にとっては共産党も国民党もなんら相違ない中国人の政党に過ぎず、自分たちとはあくまで異質な存在として明確に区別している。
台湾以外にも、たとえばトルコ、タイ、ミャンマー、モンゴル等々、世界には親日国家が多く、わが国の支援も大きいが、それらが、れっきとした独立国家であり立派な国連のメンバーであるのに比べると、台湾の現状にわが国は余りにも冷淡でありはしないか。今日でも国会議員などが時折り訪台しているようだが、彼らの訪問先は主として国民党政権の本拠であり国民党員であって、その結果生じる見せかけの友好など台湾人には何の興味も利益ももたらさない。
中国に対抗して国民党政権が民主主義を護持し日本の防壁となっているからという理由で日本人がそれにいくばくか安心感を抱くとしたら、それは、とんでもない錯覚と申すべきであろう。
かつて民進党の陳水扁党首が汚職容疑で告発されたとき支持率がわずか16パーセントまで下降したが、そのときの反対派代表であった馬英九氏は「支持率16パーセントというのはもはや完全なレームダックで政権担当の資格は失われた」と国民に呼びかけた。その馬英九政権の支持率は現在わずか9パーセントに過ぎず、共産主義からわが国の生命を護る防波堤として期待するほど愚かなことはない。それどころか、最近になって彼は日本の尖閣列島国有化や安倍総理の靖国参拝に対して非難声明を出したり、二月には北京の呼びかけによって中・台初の閣僚級による会談に応じ北京への更なる接近を図りつつある。国民党と共産党が過去二度合作していることからしても今後第三回目の合作が起こらないとだれが言えようか。
もしそのようなことが起ったとしたら、台湾人の運命は一体どうなるのか。最近自国の台所に火がつき、すっかり中国に傾倒しつつあるアメリカのオバマ政権では如何ともし難いであろう。第二次大戦後台湾を放置した日本は台湾の将来に大きな道義的責任を有する。今日まで民族自決の日を夢見てきてきた無辜の人びとの立場をもっとも憂慮し、その運命の分かれ目に備えるべきは日本人をおいて他にない。たとえ外交関係はなくとも、否いまや北京の台湾代理店に成り下がった国民党政権といくばくかの交流があったとしても、日本人は心して台湾民族と運命を共有しなければならないのである。
やがて台湾の民が自分の足で初の国家経営を成さんとするとき惜しみなくこれに心血を注ぐ覚悟がいま求められている。緊急の課題として、現在中国の拝金主義に煽られる形で次第に中国化しつつある台湾の若い世代を先ずは目覚めさせることであろう。これを放置すれば台湾の次世代は間違いなく中国に併呑されるであろうからである。
台湾に対しわが国が果たすべきは、経済や科学技術の面の協力ではない。そ
の分野でかれらはすでに十分なレベルに達してをり、むしろIT産業などはわが国を大きく凌ぐ傾向にある。わが国が今後台湾のために尽くすべきは金やモノではなく日本人の優れた精神文化や伝統的価値観、芸術、美学などであって、そのためには一にも二にも徹底した人の交流を計ることが重要である。
かつて台湾統治時代に貢献しいまも台湾開発の父と仰がれている幾多の先人が示したように、今日の日本人にあの当時の穢れなき清明な精神があれば、台湾独立の夢は必ず叶うであろう。実を申せば台湾の独立とはわが国の自主独立と不可分であって、その重要性を今われわれは再認識しておかねばならない。
掲載日 2014.2.28
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
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