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  • 2015年3月21日土曜日

    「台湾の声」【ヘンリー・ストークス、加瀬英明特別対談】「東京裁判史観の受け入れは愚かだ」

    【ヘンリー・ストークス、加瀬英明特別対談】「東京裁判史観の受け入れは愚かだ」


    (国民新聞平成26年9月25日号掲載)



    『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)がロングセラ
    ーになっています。著者はニューヨーク・タイムズ元東京地局長のヘンリー・ストークス氏。共同通信は5月、本書を貶めるために翻訳者が「南京虐殺を否定、無断で加筆した」という捏造記事を配信しました。

     「国民新聞」にストークス氏と共著『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社)を著した外交評論家、加瀬英明氏との対談が掲載されました。
     ストークス氏は、共同通信捏造記事について反論するとともに、南京事件について、そして東京裁判等について対談で語っています。

    日本語原文はこちらです。http://hassin.org/01/wp-content/uploads/HSKASE.pdf
    英文は下記の通り発信しました。

               「史実を世界に発信する会」茂木弘道

    Special interview with Mr. Henry Stokes and Mr. Kase Hideaki
    It was utterly stupid to accept
    the Tokyo Trials' Views of History

    The book entitled Falsehoods of the Allied Nations' Victorious Views of History, as Seen by a British Journalist (Shodensha, New Books) has now become a best seller. The author is Mr. Henry Scott Stokes, former Tokyo Bureau Chief of The New York Times.

    In May this year, the Kyodo News distributed a fabricated article claiming that the translator "added lines to deny the Nanking Massacre without the author's consultation," in order to disgrace this book. Mr. Stokes talks with Mr. Kase Hideaki, who co-authored Why did the United States Wage a War against Japan with Mr. Stokes (published by Shodensha).

    Mr. Stokes completely denies the Kyodo News article explaining the issue in detail. The talks are concentrated on the Nanking Massacre and the Tokyo Trials/

    *Full text: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/123_S4.pdf

    Questions are welcome.

    Sincerely,

    MOTEKI Hiromichi, Secretary General
    for KASE Hideaki, Chairman
    Society for the Dissemination of Historical Fact
    Phone: 03-3519-4366
    Fax: 03-3519-4367
    Email moteki@sdh-fact.com
    URL http://www.sdh-fact.com
    Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.


    20141005

    「台湾の声」【良書】何義麟『台湾現代史─二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』平凡社

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    「台湾の声」<香港からの,助けを呼ぶレター>

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    「台湾の声」【「反占中」参加者を装い】暴力団を兼業する香港警察

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    「台湾の声」【追悼】張炎憲氏の急逝を惜しむ

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    「台湾の声」【香港民主化運動】曖昧な姿勢をとる日本政府

    【香港民主化運動】曖昧な姿勢をとる日本政府

    八方美人は結局誰からも相手にされなくなる。

    日本政府の曖昧な姿勢は結局中国政府からも香港人からも軽蔑される結果となる。これで日中首脳会談ができても、何も実らない。

    これが「大人の対応」と称するなら、世界の笑いものとなる。

    「台湾の声」編集長 林 建良

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


    以下は日経新聞の記事

    香港デモ、政府あいまい対応 首脳会談にらみ対中配慮  :日本経済新聞 http://s.nikkei.com/1BDCsRu


    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

    20141004

    「台湾の声」【香港警察と結託】学生たちに暴力を振う香港の暴力団分子

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    「台湾の声」【訃報】張炎憲元台湾国史館館長死去

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    「台湾の声」【楠木正成の統率力第 18 回】大将は戦場を離れるな 

    【楠木正成の統率力第18回】 大将は戦場を離れるな 
             


                   家村 和幸

    ▽ ごあいさつ

     こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

     『太平記秘伝理尽鈔』には、合戦における「戦術・戦法」
    や「指揮・統率」に関する具体的な話がたくさん書いて
    あります。同じ楠流兵法書でも『河陽兵庫之記』や
    『楠正成一巻之書』が洗練された「理論書」であるのに
    対して、『理尽鈔』は「事例集」といった位置づけに
    あったと云えましょう。

     江戸時代、多くの武士たちがこうした「理論書」と
    「実例集」の両方を読むことで、戦(いくさ)のない
    時代でもより実戦的・実際的に「武人としての
    嗜(たしな)み」を身につけたのでしょう。

     今回も、千早城外・賀名生(あなう)の別働隊が
    大活躍しますが、まずは「理論書」の中から関連
    記述を紹介いたします。

     「上下が和し、諸人がうれしそうに喜び、楽しい
    ことをなにも施されずとも楽しみ、賞をなにも
    与えられなくとも満足し、国と人々が親睦して、
    上の者は恩恵を与え、下の者は果たすべき任務
    をしっかりと尽くし、その君主を尊ぶことは霊神が
    在するようであり、懐かしむことは父母の如くで
    あり、罰すれども怨まず、狎れていても侮らず、
    洋々悠々と徳化が下に流れていくのは、治まって
    いる世の中の効果である。(河陽兵庫之記一 順徳)」

     「これまでに、令が正しくなされて人がこれに服従
    しなかったことは無く、服従して剛毅になれば人は
    常に死を恐れない。兵自ら進んで死んでゆくようで
    あれば、戦は必ず勝つ。このようにして我が兵士
    全員が道義に殉ずる時は、貧しく賤しい身分で
    あっても天地の中で何ら恥じるところがなく、
    たとえわずかな兵力であっても大敵を恐れることも
    ない。(河陽兵庫之記二 威令)」

     それでは、本題に入りましょう。


    【第18回】 大将は戦場を離れるな

     (「太平記秘伝理尽鈔巻第七 新田義貞、綸旨を賜はる事」より)

    ▽ 宇都宮公綱、本格的な攻城戦法で櫓を掘り崩す

     伝えられるには、(宇都宮)公綱が千早に下り来て、
    大将の大仏奥州と評定(=作戦会議)をして諸軍勢を
    集め、千早を百重、千重に取り囲ませて、夜毎押し
    寄せる鯨の波のような時の声を発し、前にいる兵は
    手に手に鋤・鍬を取って堀をほり、前に土を高く
    積み上げて、その陰に宇都宮を始めとして着陣した。
    城からはたくさんの車松明が投げ込まれ、大石や
    大木を投げ落としてきたが、堀によって留められた。

     夜が明ければ、これらの堀を前に当て、宇都宮を
    始めとして宗徒の大将たちが笠じるしを風になびかせて、
    雲霞のごとくに並んでいたのだった。夜に入れば、
    寄手は又しても時の声を発し、前の夜の堀からさらに
    十間(約15メートル)から二十間(約30メートル)、
    三十間(約45メートル)押し出して堀をほる。城からは
    雨あられのように大石・大木が投げ落とされる。
    このような堀が出来るまでは、石にあたる者も多かった。
    しかし、堀が出来てからはあたる者もいなくなった。

     毎夜このようにして十日以上も続け、大勢でじわり
    じわりと城の斜面を昇って攻めたので、ついに城の
    切り岸の下までたどり付いた。そこで、寄手は
    鹿垣(ししがき)一重を引き破って捨てたところ、これに
    よりかえって城兵から隠れることも出来なくなった寄手
    の兵士は、数多く討たれてしまった。楠木がよく考えて
    構築した千早城の切り岸には、よじ登れる箇所が
    全くなかったのだった。

     こうしたことから、宇都宮は新たな謀を考え出した。
    「とにかくこの城を掘り崩せ」と命じて、切り岸の下から
    掘りに掘った。この時の寄手は密集しており、間隙が
    なかったので、城中から忍びの兵を出すこともほとんど
    出来なかった。そのため、楠木は敵が城を掘り崩そう
    と工事していることさえ知らずにいたところ、大手の
    櫓(やぐら)一つが掘り崩された。そこで寄手が城中
    に切り入ろうとしたが、城から大石が投げ落とされた
    ので大勢が討たれて中止された。正成がかねて
    塀沿いに植えさせていた樹木が、この時には厳しい
    構えを維持するのに役立ったことであろう。

     その後は役所役所の後ろに穴を掘って煮え湯を
    沸かし、これを敵にかけたり、石を落としたりして
    敵兵を数多く打殺した。これにより、寄手はいくら
    堀り続けても、櫓の一つも掘り崩せなくなった。
    ただ、宇都宮が最前にいて正面の櫓一つを掘り
    崩したことだけは、多くの人を死傷させたにも
    かかわらず、一つの高名(手柄)となったのである。


    ▽ 正氏、賀名生の別働隊を率いて寄手を夜討ち

     正成は、寄手が城を攻める様子を見て、一つ
    夜討ちをしなければなるまい、と思っていたところに、
    賀名生(あなう)に居た楠木七郎(正氏)が500余騎
    を率いてやってきた。

     風雨の夜の暗闇にまぎれて、互いに顔を知り
    知られている兵を、10人、20人一組にして、
    城を囲んでいる大将の諸隊へ分散して遣わし、
    自分は150騎で宇都宮の陣の後ろにまぎれていた。
    そして、味方の兵たちが夜通しの警備の交代に行く
    真似をして、合言葉を定めて居たのであった。

     (同じく賀名生の)和田孫三郎には、選りすぐった兵
    800人を引き連れさせ、大将の本陣に忍びを入れて
    焼き立てさせ、これを合図に前にいる200余騎で
    陣中に切り込み、残りを三つに分けて、あちらこちら
    に軍勢を伏せさせていたのであった。

     寄手が「これは何事だ」とあわてているところに、
    楠木七郎がすでに組ごとに分けていた兵たちが、

     「味方の何がし誰それが、楠木殿に返り忠して
    おられますぞ」

     と叫びながら、前後不覚に風の如く切って廻った
    ので、寄手は驚き騒いだ。そこへ楠木七郎が150騎
    で宇都宮の陣へ懸け入ったので、敵は蜘蛛(くも)の子
    を散らすように自軍の陣へ引いて行き、また自軍の
    陣さえも通過して遠くへ引いていくのも多くあった。
    大将の陣も散々に懸け乱された。


    ▽ 正成、自分だけ戦場を離れた正氏を批判

     そうした中で、正成は城から一騎も出撃させる
    ことなくこれらを見物して居たのであったが、そこへ
    楠木七郎が城門の前にやって来て番兵に小声で
    語りかけた。番兵が喜んで門戸を開こうとするのを
    七郎がとがめて問うた。

     「どうして重要な城の門戸を、このような時に、
    大将の下知も無いのに開こうとするのか。番の兵
    は誰であるか。重大な過ちである。・・・ところで、
    正成は無事でおられるか。」

     番兵は「別に何ごともございません」と申した。
    七郎は同行してきた兵に言った。

     「おぬし、正成に伝えよ。寄手どもが千早城を激しく
    攻めることがあれば、私こそがこのようにいたしま
    しょう・・・と。さて、大将が見えないのを我が勢も
    驚いておることであろうから・・・」

     そして兵一人を城に入れ、そこから七郎正氏は
    帰った。正成はこれを聞いて、

     「思慮が浅いからであろう。大将たる者が、合戦の
    最中に戦場を去って、ここに来るとは。今、見てみよ。
    味方の兵たちは七郎が考えていたとおりの戦をして
    いないだろう。早々と引くことであろう」

     と云ったのであるが、案の定、あちらこちらで組を
    なしていた兵は、正氏が見あたらないので、早くに
    引いてしまう者も多かったという。


    ▽ 和田、忍び一人だけを城に派遣

     これに対して、和田孫三郎は忍びの兵を一人で
    城へ遣わしたのであった。正成は、「七郎より
    はるかに優っている」と語っていたという。

     和田も七郎の姿が見えないと聞いて、

     「楠木殿に対面するために城へ入られたのに
    違いない。まずいな・・・」

     とつぶやきつつ、自分が率いる兵を打ち連れて
    山かげに隠れてしばし待っていると、正氏が七十騎
    ほどでやってきた。前もって「合図して待とう」と(集合
    場所に)決めていた峰に登って、旗を打ち立てて
    待っていると、方々から兵が10騎、20騎ずつ
    走って来たので、それらを打ち連れて引き退いた
    のであった。


    ▽ 正成、正氏の忠・孝・勇を認める

     寄手は大将の陣を始めとして、敗れて討たれる者
    は数えきれぬほどであった。それでも、楠木側は
    小勢であったので引き退いたのであった。

     陣を堅くして崩れなかった陣は、六つだけで
    あった。二階堂道蘊(どううん)の陣、長崎四郎左衛門
    の陣、高橋九郎左衛門の陣、赤橋入道の陣、
    千葉介の陣、入江入道の陣である。これらも陣に
    敵が攻め寄せていたならば、踏みとどまることは
    できなかったと思われ、何とも情けない。これ以外
    の大将たちは五里、六里(約19キロメートル〜
    23.6キロメートル)も逃げて、次の日の白昼に
    帰ってくる者もあり、また日が暮れるのを待ってから
    戻り来る者もあったという。何とも見苦しいものである。

     この夜討ちにより、正成もまた大いに利を得た
    のであろう。正氏の謀は、実に忠を尽くしたもので
    ある。兄に対する孝であり、勇でもあり、と正成も
    感じいったのであった。


    ▽ 正氏が夜討ちを実行するまでのいきさつ

     また、伝えられるには、千早城の櫓の一つが
    掘り崩されたことが賀名生にまで伝わると、正成の
    郎従たちが集まって云うには、

     「我らが生きていたとしても、正成殿が滅亡される
    のを見るのはつらく、恨めしい。先ず、我らが先に
    死して、後はどうなるかは知らない。とにかくひとつ
    夜討ちして、正成殿の御目の前にて屍を軍門にさらすか、
    敵をひとまず追い払うか、二つの内のどちらかに
    定めよう。もしも我らが残らず死んだとしても、城さえ
    強固にして在るならば、正成殿の御ため何を惜しむ
    ことがございましょう」

     とのことであり、幼童に至るまで勇み進んだので
    あった。女や子供らでさえも

     「さあ、正成殿の御大事がこの時でこそあるならば、
    我らも命を惜しんで生きたところで何になりましょう」

     と覚悟を固めたように見え、口々に出陣を切望して
    いるので、七郎も和田も「そうであれば」とのことで
    評定を開いて、このような作戦を立てたのであった。

     正成は常に自分のことを思う意識が少なく、郎従を
    憐れんでいので、郎従も皆このようであったのだ。
    将たる者は知っておくべきことであろう。この度は
    正成も郎従たちの志を大いに感じたことであろう。


    (「大将は戦場を離れるな」終り)



    (以下次号)


    (いえむら・かずゆき)

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    ● 著者略歴

    家村和幸 (いえむら かずゆき)
    1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
    昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、
    昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長
    まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、
    国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、
    情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
    その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、
    戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、
    幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育
    訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

    現在、日本兵法研究会会長。

    http://heiho-ken.sakura.ne.jp/


    著書に

    『真実の日本戦史』
    ⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje

    『名将に学ぶ 世界の戦術』
    ⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab

    『真実の「日本戦史」戦国武将編』
    ⇒ http://tinyurl.com/27nvd65

    『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
    ⇒ http://tinyurl.com/6s4cgvv

    『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
    ⇒ http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurananko.html

    がある。


    【過去の連載】いまでもメルマガで読めます。

    ●本土決戦準備の真実ー日本陸軍はなぜ水際撃滅に帰結したのか(全25回)
    http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurahondo.html

    ●戦う日本人の兵法 闘戦経(全12回)
    http://okigunnji.com/1tan/lc/tosenmm.html




    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
    20141004

    「台湾の声」【アノニマス】香港政府に宣戦布告

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    「台湾の声」【読者便り】昭文社はまだ、そんな地図を売っているのですか?

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    「台湾の声」【 10 月 11 日・講演会】李登輝元総統来日と日台関係

    【10月11日・講演会】李登輝元総統来日と日台関係

     去る9月19日から李登輝元総統が久々に来日されました。今回の日本訪問では、大阪と東京でそ
    れぞれご講演をされるほか、尊敬する新渡戸稲造が学生時代を過ごした北海道を訪れるということ
    です。総統を辞してから14年になる李登輝氏ですが、いまでもその来日は万事自由自在ということ
    にはならないようです。

     そこで、李登輝元総統の日本滞在中の全日程に同行する日本李登輝友の会事務局長、柚原さんを
    お迎えして、今回の訪日から見えてくる日台関係の現状と、李登輝元総統の日本へのメッセージに
    ついてお話していただくことといたしました。

     多数の方にお集まりいただければ幸いです。

    ◆日 時:10月11日(土曜日)午後1時30分開場、午後2時開始

    ◆会 場:フォーラムエイト(渋谷)
         ?03−3780−0008 渋谷駅徒歩7分
         http://www.forum-8.co.jp/access/

    ◆講 演:李登輝元総統来日と日台関係
         日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬氏

    ◆参加費:一般2,000円、学生1,000円(懇親会含)

    ◆連絡先:〒347−8799 加須郵便局私書箱5号
          FAX0480−66−2102  日台関係研究会事務局




    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

    20141003

    「台湾の声」【昭文社へ抗議】台湾を中国にするな!!

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    「台湾の声」【中国からもエール】「香港のために坊主になろう」

    【中国からもエール】「香港のために坊主になろう」

    "Going Bald for Hong Kong,"

     http://nyti.ms/YM2NQO

    「香港のために坊主になろう」、中国からのエール。

     香港頑張れ、



    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

    20141002

    「台湾の声」【 10 月 8 日】日清日露両戦争記念顕彰の会第2回研究講演会

    【10月8日】日清日露両戦争記念顕彰の会第2回研究講演会


    「日露戦争はなぜ起こり、日本はいかに勝利し、この意義は」


    「日清日露両戦争記念顕彰国民大会」は11月18日に憲政記念会で開催されます。
    国民大会に向けて、研究講演会を2回開催することにしております。第1回目は9月10日乃木神社にて日清戦争をテーマに開催されました。多くの方々がにご参集いただき、大変好評でした。

    第2回目は、10月8日(水)日露戦争をテーマに、第1回目に引き続き元防衛大学校教授の平間洋一先生にご講演いただきます。今回も多くの皆様のご来場をお待ちしております。



    1、 日時:10月8(水)午後6時〜8時

    2、 会場:乃木神社 参集殿

    3、 テーマ:日露戦争はなぜ起こり、日本はいかに勝利し、この意義は

    4、 講師:平間洋一先生(元防衛大学教授)

        主著:『第一次世界大戦と日本海軍』(慶応大学出版会)『日英同盟』

        (PHP)『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)『第二次世界大

    戦と日独伊三国同盟』(錦正社)

        評判の近著!:『イズムから見た日本の戦争 モンロー主義・共産主義・アジア主義』(錦正社)
    5、 資料代:500円

    日清日露両戦争記念顕彰の会
    共同代表=加瀬英明、頭山興助 大会顧問=小田村四郎、中條高徳
    後援: 靖國神社、乃木神社、東郷神社、偕行社、水交会、郷友連盟、
    日本会議、アジア自由民主連盟、史実を世界に発信する会
    (研究会担当:茂木 Tel 03-3519-4366 Fax 03-3519-4367 qzd13301@nifty.com)  
    *お申込みは呉竹会青年部まで:

    Fax 03-5980-2401 mail:nisshinnichiro@gmail.com



    <参考>

    日清日露両戦争記念顕彰国民大会 趣意書

     今年平成26(2014)年は、明治27(1894)年の日清戦争開戦から120周年、明治37(1904)年の日露戦争開戦から110周年を迎えます。私達はこの記念すべき年に、日清日露両戦争の歴史的意義と先人の偉業を再確認するための、かつ、両戦争の現代的意義を捉え直すことを通じて、現在の日本の危機を乗り越える方向を考えるための「日清日露両戦争記念顕彰国民大会」を開催致します。

     日清戦争とは、片や前近代的な華夷秩序のもと朝鮮を属国として内政に干渉し、大規模派兵をはかる清国と、片や朝鮮の独立国たるを支え東洋平和の確立を目指す日本との戦争でした。日清戦争における日本の勝利は、華夷秩序体制を根本から覆し、清国国民に自国の近代化や民主化の必要性を悟らせ、後の辛亥革命にもつながっていきます。東アジアの近代化は、この日清戦争から始まったと言っても、過言ではありません。

    日露戦争とは、当時、世界を覆っていた欧米の帝国主義体制のなかでも最強の大国であったロシア帝国のアジア侵略に対し、これを日本が自国の存亡を賭けて阻止した戦争でした。日露戦争における日本の勝利は、白人帝国主義による世界支配を揺るがし、植民地化されて喘ぐ全世界の被抑圧民族に希望を与え、民族独立運動の覚醒を促しました。日露戦争は、約40年後に東京で行われた、史上初の有色人種サミットたる大東亜会議によって、自存自衛の戦争目的に加えて、白人支配からのアジア解放という大義を得た、あの大東亜戦争の先駆けだったとも言えましょう。

    そうした両戦争に鑑みるならば、現在の東アジアの状況はどうか。中国はかつての華夷秩序を再現しようとしています。中国の植民地と言うべきウイグル、チベット、南モンゴルなどの各民族は、欧米支配時代より以上の苛酷な弾圧下に置かれており、東南アジア諸国や我が国は固有の領土を侵略され、あるいは侵略の脅威に直面しています。朝鮮半島情勢は、中国、韓国、北朝鮮、米国、ロシアなどの複雑な相互関係のなか混迷を極めています。

    私達は、アジア諸国諸民族が連帯することによって、自由で平和な、民族自決に基づくアジアを実現するためにも、上記の日清日露両戦争顕彰国民大会を今年11月18日に憲政記念館にて開催する次第です。皆様方のご参加、ご支援、ご鞭撻をよろしくお願いいたします。




    20141002

    「台湾の声」【 17 歳の香港女子高校生】中国とどう渡り合うことを教えてくれた

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    「台湾の声」【 JFSS 】シンポジウム「台湾の現状と日米台の安全保障」

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    「台湾の声」【 10 月 11 日】有本香先生講演会

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    「台湾の声」【台湾国会】「中国政府を譴責、香港民主化を支持臨時提案」与野党一致で通過

    【台湾国会】「中国政府を譴責、香港民主化を支持臨時提案」与野党一致で通過

    「台湾の声」 ニュース         

    台湾の国会(立法院)では30日、「中国と香港政府の暴力的治鎮圧を譴責し、香港人民の民主化運動を支持する」臨時提案が提出され、台湾政府に香港の民主化を明確に支持するように促した。この提案は与野党一致で通過した。



    「台湾の声」編集部 2014,10,01


    「台湾の声」【連帯する日本】台湾独立運動に関する声明文

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    「台湾の声」【日本政府よ】香港人への一言はないのか?

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    「台湾の声」【香港人へ】あなたたちは必ず勝ちます。

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    「台湾の声」【主張】香港民主化デモ 流血招く鎮圧より対話だ

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    「台湾の声」【香港頑張れ!】 Umbrella Revolution

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    「台湾の声」【動画・香港少女】香港を助けて!!

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    「台湾の声」【香港人よ!】 you are not alone!

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    「台湾の声」【台湾学生運動団体】台湾香港代表処を占拠

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    「台湾の声」【再送・李登輝講演を聞いて】「伝える者」としての誠意あふれる姿勢に感銘

    【李登輝講演を聞いて】「伝える者」としての誠意あふれる姿勢に感銘

    以下はサーチナの李登輝元総統の講演に関する記事です。
    李登輝さんの東京講演の記事の中で一番客観的に内容と会場の雰囲気を捉えている記事だと思います。

    是非読んでください

    「台湾の声」編集長 林 建良


    http://news.searchina.net/id/1544486?page=1

    http://news.searchina.net/id/1544487?page=1

    http://news.searchina.net/id/1544489?page=1

    20140929

    「台湾の声」【香港頑張れ】香港学生の「中環占拠」を支持する!!

    【香港頑張れ】香港学生の「中環占拠」を支持する!!

    我々は香港の学生たちの勇気ある行動を支持する。
    これは正義と邪悪の戦いであり、戦い抜いてください。

    香港頑張れ!!


    「台湾の声」編集長 林 建良



    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

    20140929

    「台湾の声」【はるかなり台湾】「台湾への大航海」

    【はるかなり台湾】「台湾への大航海」


    「はるかなり台湾」より転載




    ●台灣への大航海
            伊勢寛

    台灣へ行きたかったので三月で教師を辞めました。安定した仕事を捨てて台灣へ渡るわけですから、大航海へ出るようなものです。常々、日本の歴史教育や日本人の歴史認識に疑問をもっていて、台灣へ行けばこの問題を解決するヒントが得
    られるかも知れないと考えていました。とりわけ、「日本語世代が健在である今でなければならない!」という強い思いが私を突き動かしたのでした。

     ノービザで九十日間滞在できますので、拠点作りのためにも、台南の國立成功大學に通うことにしました。午前中だけ大学で北京語を学び、午後や週末は台灣研究や日本語世代の方々への聞き取りをすることにしました。台南に知り合いはいなかったので最初は苦労しましたが、多くの方々に助けられて活動をすることができました。

      まず思い立ったのは、公園へ行くことです。家から徒歩十五分のところに台南公園がありましたので、毎朝五時に起きて公園へ行くことにしました。公園で顔見知りになった歐里桑・歐巴桑(オリサン・オバサン)たちと台灣語で「ガオ
    ザー」と挨拶するのが楽しくて仕方ありませんでした。公園で仲良くなった饅頭売りのおじさんとは、帰国した今でも連絡を取り合っています。

    ところが、公園で聞こえてくるのは台灣語ばかりで、日本語を話している人は来る日も来る日も見つかりませんでした。八十歳以上の日本語世代の方々で公園に出てくる人は稀であるとのことでした。

     更なる交流の場を求めて、台南にある愛子カラオケ店にも通うようになりました。日本語世代の方々はもちろん、それより若い世代でも、日本の歌を上手に歌うことに驚きました。ここでも素晴らしい出会いがあり、台灣の人たちと心温ま
    る交流ができました。
     
    成功大學には台灣研究が目的で来ている人が何人もいまして、南部短歌會を紹介してもらいました。私も早速、南部短歌會に参加させてもらい、日本語世代の方々との交流を楽しみました。今の日本の若者では到底使いこなせない高度な日本語を駆使して短歌を作る日本語世代の方々の姿に感動しました。

     台南に限らず、台灣各地を駆け巡り、日本語世代の方々と交流を深めてきました。おかげ様で多くの方々からお話を伺うことができました。特に、台中の台日會、高雄の志の會、竹田の池上一郎博士文庫、新北の景美人權文化園區などでは、
    観光では絶対にできない貴重な体験をさせていただきました。幸運なことに、私の台灣での体験を講演する機会をいただきました。これからひとりでも多くの日本人に台灣のことを伝えていきます。

     最後に、日本語世代の高齢化に伴い、台湾では外勞と呼ばれている外国人労働者のヘルパーに介助される方も増えてきているのが現状です。外勞の方々が一生懸命日本語を覚え献身的に介護する姿を見て、彼らに感謝するとともに、台北の玉蘭荘のようなところでボランティアをする日本の若者が増えてほしいと感じました。

     台灣に日本語を使って生活している高齢者がたくさんいるという事実は、日本では一般的には知られていません。この現状を打破すべく、情報を発信し続けるのが私の使命です。世の中全体を変えるのはたやすいことではありませんが、全てはひとりの熱い思いから始まります。多くの人を巻き込んで、日台友好の輪を広げていきたいです。私の思いと行動が、日台の架け橋の一部にでもなれば、望外の喜びです。

    20140928

    「台湾の声」【是非台湾コーナーへ】『2014ツアーリズムEXPOジャパン(旅博)』

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    「台湾の声」【楠木正成の統率力第 17 回】楠木正成の『軍法六箇条』 

    【楠木正成の統率力第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』 
            



                     家村 和幸

    ▽ ごあいさつ

     こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

    千早城における楠木正成の戦いぶりは、孫子兵法に
    ある「兵は詭道なり」をそのまま実践したものでした。

     詭道とは、敵を詐り欺く(いつわりあざむく)ことで
    裏をかき、判断を誤らせるやり方ですが、これに
    ついて孫子兵法では具体的に次のように説いています。

     能力があっても無いように見せかけ、能力が
    無くて謀を用いても能力があるように見せ、
    近くにいても遠くにいるように思わせ、遠くにいても
    近くにいるように錯覚させ、利益を与えて敵を
    誘い出し、混乱させて討ち取り、敵が充実している
    ときは備えを固くし、敵が強ければこれを避け、
    敵が怒るように挑発して心をかき乱し、こちらから
    へりくだって驕りたかぶらせ、安んじて疲れて
    いなければ疲労させ、親しみあっていれば分裂
    させる。敵が備えていないところを攻め、敵の不意を突く。

     (以上、孫子第一篇「始計」より)

     今回は、楠木がなぜこのような詭道を完璧な
    までに実践できたのか、という疑問にお答え
    いたしましょう。

     それでは、本題に入りましょう。


    【第17回】 楠木正成の『軍法六箇条』

    ▽ 奇策「藁(わら)人形作戦」

     これまでの常識では考えられないような楠木の
    戦い方に寄せ手(幕府軍)はすっかり慎重になり、
    当初のように勇敢に攻めようとはしなくなった。

     千早城を力攻めで落とそうとすれば、兵士の
    損害ばかり多くなるので、寄せ手は城を包囲だけ
    して兵糧攻めすることに決め、戦闘を中断した。
    そこで暇をもてあました寄せ手の将兵らは、
    碁や双六をして日を過ごし、また茶会や歌会
    を楽しんで夜を明かした。

     今度は千早城内の兵士らも、することが
    無くなって退屈してきたところ、数日して楠木正成
    が言った。

     「そろそろこの辺で、やつらの眠りを覚ましてやろうか・・・。」

     そして、藁くずやぼろ布などで等身大の人形を
    2〜30体作り、甲冑を着せ武器を持たせて、
    夜中に城の麓に立てた。人形の前には畳を楯の
    ように並べ、背後には選りすぐりの兵500人を
    配置した。夜がほのぼの明け初めると、この兵たち
    が朝霞の中から声を合わせて閧(とき)の声を上げた。

     千早城を取り囲んでいた寄せ手の兵たちは、

     「それっ、城から出てきたぞ。敵はいよいよ
    運が尽きて、やけくそになったのだな。」

     と云って、我先に攻めかかっていった。

     楠木軍の兵士らは、作戦どおりに形だけの
    矢いくさをしながら大勢の敵をおびき寄せると、
    人形だけをその場に残して城へと退いた。寄せ手は
    人形を本当の兵士と思い込み、討ち取ろうと
    集まってきた。近づいて見ると、一歩も退かずに
    戦った勇敢な兵士らは皆人間ではなくて、藁で
    作った人形だった。

     次の瞬間、楠木軍は城中から大石、4〜50個
    を一度に投げ落とし、激しく矢を射った。これにより、
    一箇所に集まっていた寄せ手の兵は、300余人
    があっという間に即死し、500余人が半死半生
    の重傷を負った。


    ▽ 軍法なきがゆえ「藁人形戦法」に引き込まれた幕府軍

     (以下、「太平記秘伝理尽鈔巻第七 千剣破(ちはや)城軍の事」より

     楠木の奇策に又しても散々な目にあわされた
    東国の大将は、智謀が無いと云えよう。

     「なぜ、今ごろ楠木が軍勢を出して、閧の声を
    発しているのか。おそらく謀があってのことでは・・・」

     このように思わなかったからである。そうでなければ、
    なぜ早速に軍勢を出撃させたのか。これが一つである。

     もしも、寄手の軍勢が大将の下知を守らず、
    勝手に進んだというのであれば、なおもって
    将の恥であるとともに、兵の恥でもある。

     およそ、将が戦場に赴くならば、先ずは
    軍法(戦場で守るべきルール・行動規範)を堅く
    守らせるものである。自分の配下の者にすら、これは
    常識である。ましてや、諸国から寄せ集めの兵
    であれば、まずは軍法を発出し、これを強制しな
    ければならない。にもかかわらず、あらかじめ
    軍法を出さなかった。

     また、兵はいかに些細なことであろうとも、
    将の下知を守ってこそ進むものであるのに、
    そのような手立てが一つも無い。これが
    二つ目の不可である。


    ▽ 正成の『軍法六箇条』

     それでは、楠木軍にはどのような軍法があった
    のだろうか。これを以下に紹介しよう。

    一 この度の軍陣において、夜討ち並びに
    いかなる些細な事があったとしても、将の下知が
    無いのに懸け出でる(注:交戦する)ことが
    あってはならない。ただし、敵がすぐ手前に
    寄せ来るような場合には、その一陣の将の
    下知によること。

    一 もしも、陣中に火災が有ったならば、
    そこの一陣が対処して、これによる亡失を
    防がねばならない。それ以外の陣は、
    急いでその陣の前に兵を備えて、下知を
    守るべきこと。

    一 陣中において女を求めてはならない。
    付け加えて、諸軍勢は酒宴などの遊びに
    専念することがあってはならない。

    一 甲乙誰であろうと諸人に勝れて忠が
    あれば、それに相応しいだけの賞を行うべきこと。

    一 老若にかかわらず陣中だからと云って、
    無礼な振る舞いをしてはならない。
    喧嘩・口論は、はしたないことである。

    一 その組の陣の外、所用も無いのに
    表敬訪問だと云い、または親交を結ぶと
    云って、他の陣へ歩き行くことは、忠を心に
    懸けず、武の嗜(たしな)みが無い兵である。
    道を踏み行おうとする人であれば、速やか
    にこれを禁じるべきこと。

     このような法には、いろいろな種類がある。
    正成は、一陣一陣にこの法を手始めとして、
    良いものを加え、また不相応なものを削除した。
    それに対して、東国の将にこのような軍法が
    無かったのは不覚である。そのため、城から
    出撃してきた楠木軍が発する閧の声を聞くと、
    同じように出向いてしまい、見事に相手の
    術中に陥ったのである。


    ▽ 敵の手立てに落ちる、とは

     その上、敵軍が突然に兵を進めるのであれば、
    先ずは深い謀があるものだと知らねばならない。
    敵の手立て(作戦)を十分に察知していなければ、
    動いてはならないと云われる。もしも、その
    意識が無ければ、勝ったといえども、実の
    勝利ではない。ただ偶然にそのような結果に
    なったのである。

     東国の将が、これらの事を知らないのは恥であるぞ。
    これらこそ、敵の手立てに落ちるということである。


    ▽ 敵の智の程度を十分に知り、戦に勝つ

     また、鎌倉幕府が亡んだ後、赤松則祐が正成に
    向かって尋ねた。

     「楠木殿の藁人形の謀には、腑に落ちないことが
    ございます。なぜかと申せば、味方は500余騎、
    敵は数万騎でありますれば、人形をも人をも
    物の数になりませぬ。敵が本気になり、数万騎で
    一度にどっと攻め懸かっていたら、城までも危うく
    なっていたことでしょう」。

     これに対して、正成が答えた。

     「則祐の考えは、恐れながら思慮が浅いものである。
    突発的で小規模な戦いであれば、敵も数万騎の兵
    をそろえる必要はないだろう。こちらの陣からバラバラ
    に5〜6人、あちらの陣から7〜8人程度が、後に先に
    と攻めかかって来ることになるだろうから、足軽が
    そこそこに交戦してこれらを石弓の下までおびき寄せ、
    一挙に討とうとしたのである。

     もしもそうではなく、寄手が陣々に太鼓を打ち、
    軍勢をそろえて攻め来るようであれば、その間に
    正成の500余騎は、軽々と城中に引き取るように
    計画していた。そうであるから、正成も自ら城下の
    斜面半ばに居て、太鼓による約束事を堅く守らせて、
    下知したのである。

     こうして私が考えていたところと少しも違わずに、
    数多くの敵を討つことができたのだ。」

     これを聞いた則祐は、「実に敵の智がどの程度
    かを十分に知っていなければ、戦に勝つことは
    難しいものでありますな・・・」と云ったのであった。


    (「楠木正成の『軍法六箇条』」終り)



    (以下次号)


    (いえむら・かずゆき)

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    ● 著者略歴

    家村和幸 (いえむら かずゆき)
    1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
    昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、
    昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長
    まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、
    国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、
    情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
    その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、
    戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、
    幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育
    訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

    現在、日本兵法研究会会長。

    http://heiho-ken.sakura.ne.jp/


    著書に

    『真実の日本戦史』
    ⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje

    『名将に学ぶ 世界の戦術』
    ⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab

    『真実の「日本戦史」戦国武将編』
    ⇒ http://tinyurl.com/27nvd65

    『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
    ⇒ http://tinyurl.com/6s4cgvv

    『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
    ⇒ http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurananko.html

    がある。


    【過去の連載】いまでもメルマガで読めます。

    ●本土決戦準備の真実ー日本陸軍はなぜ水際撃滅に帰結したのか(全25回)
    http://okigunnji.com/1tan/lc/iemurahondo.html

    ●戦う日本人の兵法 闘戦経(全12回)
    http://okigunnji.com/1tan/lc/tosenmm.html



    《日本兵法研究会主催イベントのご案内》



    【第18回 家村中佐の兵法講座 −楠流兵法と武士道精神−】

     演題 『太平記秘伝理尽鈔』を読む(その7:湊川の戦・前段)

     日時 平成26年10月12日(日)13時00分〜15時30分(開場12時30分)

     場所 靖国会館 2階 田安の間

     参加費 一般 1,000円  会員 500円  高校生以下 無料


     お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
         FAX 03-3389-6278
         件名「国防講座」又は「兵法講座」にて、ご連絡ください。





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    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
    20140927

    「台湾の声」【日付訂正】【基進側翼】【声明】馬英九総統に抗議する。台湾の主権を売り渡してはならない。

    【基進側翼】【声明】馬英九総統に抗議する。台湾の主権を売り渡してはならない。

    文末の日付修正につき再送

    〔26日晩に出された声明。台湾の声編集部訳〕

    2014年9月26日に馬英九が典華(denwell)ホテルの「2014年アジア太平洋フランチャイズ連盟および世界フランチャイズ協議会大会」の国際レセプションに参加した際に、若い男性が物品を投げつけて抗議した件について基進側翼は次のように声明する。

    一、馬英九に抗議して物品を投げつけた若い男性は、基進側翼の合同選挙本部主任の顔銘緯(がん・めいい)である。

    二、顔銘緯が馬英九に投げつけた物品は『裏切られた台湾』という書籍である。そもそも馬英九の支持率は極めて低く、10%に満たない。つとに台湾の民衆が唾棄するところとなっている。先日、馬英九がドイツ通信社のインタビューを受けた際に、「引き続き中国傾斜政策を推進する」、「東西ドイツが相互の関係を処理し最終的に統一を実現した経験を学ぶ」、「中国へ接近することこそ台湾が生き残る唯一のチャンス」といった言論を発表した。馬英九の売台行為は、民衆の怒りを買い、すべての人々が憎むものである。『裏切られた台湾』を投げて抗議としたのは、馬英九の一意孤行の荒唐無稽さ、および人民の意志に背いた馬英九の憎むべき行為を明らかにするためである。

    三、馬政権は両面戦術を弄し、対外的には「中国に傾斜し、統一する」というシグナルを出し、内部に対しては、選挙での得票のために、引き続き「現状維持」という言葉で台湾人を騙している。我々はこの『裏切られた台湾』によって、馬政権を厳粛に告発するものである。台湾の主権と台湾のすべての人々の権益を、中国国民党と中国共産党が手を携え、飲み込もうとすることを受け容れることはできない。

    四、台湾の戦後の状況は東西ドイツの状況とは完全に異なっている。台湾は中華人民共和国の領土には属さない。もし馬政権が独断で中国国民党の名義で和平協定を締結し、国家主権を譲り渡すことにこだわれば、これは亡国の事態を招くものである。台湾人は油断してはならない。

    一意孤行の馬英九に抗議することは、はじめの一歩にしかすぎない。なおかつ、これはすべての人々が踏み出すことができる一歩である。馬英九の指揮下の中国国民党、その背後の赤い中国政権こそ台湾人が警戒すべきものである。

    我々は基進側翼である。我々は才能のある青年・顔銘緯の抗議行動を全力で支持する。反殖民主義、反帝国主義、反搾取、中国国民党解体、我々はあなたと一緒に前進する。

    ***************************************
    抗議馬英九総統,台湾主権不可出売 基進側翼声明稿

    針対20140926馬英九出席典華飯店的「2014亜太[既/旦]世界加盟連鎖年会」国際歓迎晩宴,遭年軽男子抗議,並[ノ/去]擲物品,基進側翼針対此事発表声明如下:

    一、抗議馬英九並[ノ/去]擲物品的年軽男子,為基進側翼聯合競選総部主任顔銘緯。

    二、顔銘緯向馬英九[ノ/去]躑的物品是「被出売的台湾」一書。蓋馬英九民調超低,不到10%,早已為台湾民衆所唾棄。日前総統馬英九接受「徳通社」採訪時表示要「継続推動傾中政策」、「学習東西徳処理双辺関係最終実現統一」、「接近中国是台湾求生唯一機会」等言論,其出売台湾的行径,已成千夫所指人神共棄之事。[ノ/去]擲「被出売的台湾」一書作為抗議,即在凸顕馬英九一意孤行的荒謬、背棄人民意志的邪悪行為。

    三、馬政府玩弄両面手法,対外釈出傾中統一訊息,対内礙於選票持続以「維持現状」[言匡]騙台湾人,我們以「被出売的台湾」一書対馬政府提出厳正控訴,台湾主権与全民権益不容中国国民党与中国共産党聯手呑噬。



    四、台湾戦後与両徳状況完全不同,台湾不属於中華人民共和国領土,若馬政府一意孤行,以中国国民党名義執意[竹/斂-文]訂和平協議,譲渡国家主権,将造成亡国的事実,台湾人不可不慎。

    向一意孤行的馬英九抗議只是第一歩,而且,這是人人都可做的一歩。馬英九[麻/毛]下的中国国民党,其背後的赤色中国政権,才是台湾人更応[イ敬]醒的。

    我們是基進側翼,我們全力支持青年才俊顔銘緯的抗議行動。反殖、反帝、反剥削,裂解中国国民党,我們与[イ[迩-之]/心]一同前進。

    ***************************************

    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

    2014.9.27 00:12


    「台湾の声」【基進側翼】【声明】馬英九総統に抗議する。台湾の主権を売り渡してはならない。

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    「台湾の声」【速報】馬英九に学生が本を投げつけて抗議

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    「台湾の声」【李登輝さん】「安倍政権は『日台関係法』の制定を考慮するべき」

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    「台湾の声」【李登輝元総統】「 2014 日本訪問の旅」を終え無事ご帰台

    【李登輝元総統】「2014日本訪問の旅」を終え無事ご帰台



     日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載



    1>> 李登輝元総統が実り豊かな「2014日本訪問の旅」を終え無事ご帰台

     昨9月25日、李登輝元総統は19日からの「2014日本訪問の旅」を無事に終え、「必要があれば何
    度でも来ますよ」という言葉を残され、新千歳空港からエバー航空115便にて台湾にお帰りになり
    ました。

     新千歳空港の貴賓室には空港関係者や台北駐日経済文化代表処の札幌分処長などが訪れてお見送
    りされ、本会同行者は貴賓室はもちろん、エバー航空の特別計らいによりパッセンジャー・ボー
    ディング・ブリッジ (搭乗橋)の入口まで行ってお見送りすることができました。

     ご帰台に先立ち、李登輝元総統は午前10時からご宿泊先の札幌パークホテルにて同行記者団(13
    社19名)並びに本会の公式カメラマンと茶話会を開き、今回の訪日についての感想などを述べられ
    ました。同行していた毎日新聞がその模様を伝えていますので下記にご紹介します。

     記事にありますように、李元総統は24日に体調を落とし、小樽訪問を中止して静養されました
    が、同行していた曾文恵夫人と李安娜さんと李安[女尼]さん姉妹はオルゴール堂や北一硝子などを
    訪れて買い物をされるなど小樽を満喫しています。

     夜には体調を回復され、ご家族で札幌市内のお寿司屋さんを訪れ、家族水入らずで李元総統を尊
    敬しているという店主が握った美味しいお寿司を召し上がっています。

     李元総統は25日、ホテル出発直前に本会同行者を部屋に招き入れ、ねぎらいのお言葉をかけると
    ともに、小田村四郎会長宛に「我是不是我的我」(私は私でない私)と揮毫された大きな絵皿を寄
    贈されました。

     本会が招聘元となっての5年ぶり6度目のご来日でしたが、大阪・東京講演会も大成功を収め、ご
    来日三大目的(最先端の癌治療法、代替エネルギー、肉牛飼育の現状視察)もすべて果たされての
    ご帰台となり、小田村会長や川村純彦・李登輝先生来日歓迎委員会委員長、辻井正房・李登輝先生
    来阪歓迎委員会委員長をはじめとする本会関係者は胸を撫で下ろしています。

     講演会や歓送迎につきましては至らない点が多々あったのではないかと思われますが、皆さまの
    ご協力とご支援の下、盛会裡に終えることができました。ありがとうございました。心から感謝申
    し上げます。

    ◆日本李登輝友の会facebook(写真とともに速報を掲載していました)
     http://goo.gl/qQUX1

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    李登輝元台湾総統:「日本に台湾関係法の制定必要」強調
    【毎日新聞 2014年09月25日】

    http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000m030027000c.html
    写真:離日を前に同行記者団と会見する台湾の李登輝元総統=札幌市内のホテルで2014年9月25
       日、鈴木玲子撮影

     来日していた台湾の李登輝元総統(91)は25日、離日を前に札幌市で同行記者団と会見し、「年
    はとったが必要があったら、また来たい」と再来日に意欲を示した。24日には「疲れから血圧が上
    がり」ホテルで休息したが、体調は回復し、25日に台湾に到着した。

     安倍晋三首相が11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、中国の習近平国家主席との会
    談に意欲を示していることについて、李氏は会見で「安倍首相が集団的自衛権の行使容認を決めた
    ことで中国にプレッシャーがかかり、習近平主席の方が(安倍首相に)会う必要性が出てきてい
    る」との見方を示した。

     李氏はまた、日台間に外交関係がないため、経済や人的往来など関係強化の法的根拠となる「台
    湾関係法」制定の必要性を改めて強調。李氏の主張を批判する中国に対し、「中国が反対しても関
    係ない。日本の国会で(法制化を)推し進めればいいこと。台湾は台湾だ」と切り返した。

                                          【鈴木玲子】

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    2>> 北海道初訪問の李登輝元総統が亀田牧場を訪問、本会北海道支部が歓迎の夕食会

     9月23日、李登輝元総統は羽田空港を11時発の全日空61便で出発、定刻の12時35分に新千歳空港
    に着かれました。

     空港関係者や台北駐日経済文化代表処の札幌分処長などの歓迎を背に、千歳市内の苦楽園・亀田
    牧場へ。亀田牧場では亀田泰貴(かめだ・たいき)氏ご一家や石狩農業改良普及センターの西村正
    晃(にしむら・まさみつ)所長、主査で普及指導員の吉川正明(きっかわ・まさあき)氏などが出
    迎え、和牛飼育の現状などを説明しました。中央通信社がその模様を写真とともに伝えていますの
    で下記にご紹介します。

     亀田牧場では亀田氏に和牛飼育についていろいろ質問し、牛舎や堆肥場を視察するなど予定を1
    時間以上もオーバーしましたが、大変満足された様子で亀田牧場を後にされました。牧場側では取
    れたての牛乳やゆでトウモロコシを準備し、同行記者団にも振る舞われました。

     宿泊先の札幌パークホテルでは、この日の夜に夕食会を開く本会理事の鎌田告人(かまだ・のり
    ひと)本会北海道支部長や衆議院議員の清水誠一・本会理事などが出迎えました。

     この夕食会にはJA北海道中央会会長の飛田稔章氏や藤田正一・元北大副学長、西村眞悟・衆議
    院議員など15人が臨んで李登輝元総統ご夫妻を囲み、楽しい盛宴となりました。李元総統も20分ほ
    ど挨拶され、新渡戸稲造の『武士道』に触れて「日本本来の精神的な価値観を思い出していただき
    たい」などと述べられました。

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    台湾・李登輝元総統、北海道を初訪問 日本の牛乳味わい「おいしい」
    【中央通信社:2014年9月24日】
    http://japan.cna.com.tw/news/apol/201409240004.aspx

     (東京 24日 中央社)5年ぶりに訪日中の李登輝元総統は23日、北海道を初訪問した。李氏は牧
    場を視察し、日本の畜産業の現状などについて話を聞いた。

     農業経済学者でもある李氏は、40分にわたって牧場関係者と話し込むなど、強い興味を示し、北
    海道の畜産業について学ぶことで、台湾での牛肉に関する問題解決に役立てたいと語った。

     また、同行している関係者によると、李氏は牧場側が用意した搾りたての牛乳を飲み、しきりに
    日本語で「おいしい」と話して喜ぶ様子を見せていたという。

     19日から7日間の日程で訪日している李氏は、これまで最新のがん治療技術に関する会議に出席
    したほか、太陽光発電施設などを訪問。24日は小樽市を訪れ、25日には台湾への帰途につく。

                                   (楊明珠/編集:杉野浩司)





    『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html


    「台湾の声」【良書紹介】宮崎正弘・台湾烈烈世界一の親日国家がヤバイ

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