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  • 2011年8月12日金曜日

    「台湾の声」【宗像隆幸】米国、中国との冷戦に突入(1−2章)【差し替え版】

    米国、中国との冷戦に突入(1−2章)【差し替え版】〔2011.9.4校正〕

    国名を台湾共和国に改めて、台湾が国際社会の承認を得る絶好機到来 2011年 6月  宗像隆幸

    http://www.wufi.org.tw/jpninit.html

         米国政府は、遂に中国を「潜在敵国」と規定し、中国の覇権拡大を阻止するために、アジア・太平洋諸国と提携して、中国包囲網を形成しつつある。最大の争点は、南シナ海だ。もし、中国が南シナ海を支配下に置けば、中国は南シナ海のシーレーンを生命線としている国々を覇権下に収める事ができるからである。台湾は、南シナ海の出入り口を扼する地政学的要衛に位置している。台湾が主権独立国家として国際社会の承認を獲得し、南シナ海を防衛する国々の一員に加われば、南シナ海の航行の自由は守られるのである。

     台湾が、国名を台湾共和国に改めて、世界の国々と国交を結ぶ絶好の機会が到来したのである。台湾が国際社会で孤立したのは、1971年に米国が「中国封じ込め政策」を転換し、中国が安全保障理事会の常任理事国として国際連合に加盟した時、中国代表として安保理常任理事国の地位を占めていた中華民国は、国連の一般議席からも追放され、世界の国々から断交されたからである。それ以来40年ぶりに、米国は対中国政策を大転換したのだ。米国は、中国との冷戦に突入したのである。かつての米国を中心とする国々とソビエト連邦を中心とする国々の冷戦は、経済的にもそれぞれブロックを形成して対峙した。しかし、現在は米国も他のアジア・太平洋諸国も、経済的には中国との関係が深い。新しい冷戦は、中国との経済関係を維持しながら、中国の覇権拡大を封じるものである。

        目      次  1 2つの中東戦争で余力を失なった米国は、中国の横暴を容認した  2 オバマ大統領、対中国政策を180度転換  3 台湾の国際的孤立は、世界最大の異常事態  4 蒋介石による占領から台湾の不運が始まった  5 ニクソン大統領、「中国封じ込め政策」を180度転換  6 まことに不思議な周恩来とキッシンジャーの外交交渉  7 ニクソン政権の大失敗で、台湾問題を解決する絶好機が失われた  8 ニクソン大統領が台湾を犠牲にして得たベトナム和平協定は、2年間で破棄された  9 中華民国の国連からの追放は、台湾独立運動にも大打撃を与えた 10 断交後の米国と台湾の関係を規定した台湾関係法 11 蒋政権による最後の大弾圧 12 李登輝総統時代の台湾の民主化 13 米国政府も「台湾が『1つの中国政策』を放棄すれば、国交を結べる」と言明 14 人民自決の権利は、全人類に認められた基本的人権である 15 台湾共和国の創建は、世界の利益と一致している 16 台湾のことを知れば、世界は台湾共和国の創建を支持する 17 こうすれば、台湾共和国を創建できる

         1、2つの中東戦争で余力を失った米国は、中国の横暴を容認した

     2000年3月、台湾で行なわれた2回目の国民の直接投票による総統選挙で、民主進歩党の陳水扁が当選した時、米国政府は中国が台湾を武力で攻撃して戦争になるのではないかと恐れた。米国は台湾関係法によって台湾の防衛を公約しており、中国が台湾を攻撃すると、米国との戦争に発展する可能性が大きかったからである。民進党(民主進歩党)は、党綱領に台湾の独立を掲げており、中国は「台湾が独立しようとしたら戦争だ」と威嚇していたから、民進党政権の誕生が戦争の原因になるのではないか、と米国政府は恐れたのだ。日本が第2次世界大戦に敗北した1945年以来、中国国民党が台湾を支配してきたから、これは台湾で初めての政権交代であった。

     台湾の独立と言うのは、中国からの独立ではない。台湾は、中国とは異なる独立国家として存在している。民進党の目標は、国民投票で国名の中華民国を台湾共和国に改める事によって、この現実を法制化する事である。そうなってしまえば、中国は台湾を「統一」する名分を失うから、「戦争になる」と脅す事によって、米クリントン政権に台湾へ圧力をかけさせたのである。

     この米国の圧力によって、陳水扁は総統就任演説で、「中共(中国共産党)が台湾に対して武力を発動する意図を持たない限りにおいて」という前提つきだったが、「私は在任中に独立を宣言せず、国名を変更せず、統一か独立かといった現状変更に関する国民投票を行なわない」と言わざるを得なかった。

     2001年1月、このようなクリントン大統領の中国に対する屈從的な態度を批判していたジョージ・ブッシュが、米大統領に就任した。ブッシュ大統領が中国と台湾に対していかなる政策を打ち出すか注目されたのであるが、アメリカで起きた同時多発テロが状況を一変させた。9月11日、テロリストにハイジャックされた旅客機2機が、ニューヨークに並び立つワールド・トレード・センタービル2棟に激突、ビルは炎に包まれて倒壊、続いてもう1機がワシントンの国防総省(ペンタゴン)に激突した。このテロは世界を驚かせたが、特に米国人に与えたショックは深刻だった。ブッシュ大統領は、この日の日記に「今日、21世紀のパールハーバー攻撃が勃発した」と書いたと言う。このテロを実行したのは、ウサマ・ビンラーディンを指導者とするアルカーイダであった。アフガニスタンを支配している狂信的なイスラム教組織のタリバンが、アルカーイダと提携して多数のテロリストを訓練していることは、米国政府もよく知っていた。

     ブッシュ大統領は、タリバン政権に「ビンラーディンとその一味を引き渡せ。さもなくば、攻撃する」と警告したが、タリバンは拒否した。9・11事件から1か月もたたない10月7日、ブッシュ大統領の命令によって、米軍はタリバン攻撃を開始した。大統領選挙で大接戦の末に当選したブッシュ大統領の人気は50パーセントぐらいしかなかったが、この素早い攻撃によって、彼の人気は90パーセント近くまで上昇した。それは、テロとの戦いを断固支持する米国民の意志の表れであった。しかし、10月31日のニューヨーク・タイムズが「アフガニスタンの戦争は、ベトナム戦争の再現にならないだろうか」という記事を掲載したように、アフガニスタンの泥沼にはまる事を心配する人々もいた。

     1979年にソビエト連邦は、弱体な親ソ連政権を擁護するために、アフガニスタンの内戦に介入したが、10年後には撤兵せざるを得なかった。この無益な戦いが、ソビエト連邦の崩壊を早めたのである。1881年にアフガニスタンを保護領にした英国は、反英闘争に手を焼いて、1919年にアフガニスタンの独立を認めて撤退した。ソ連や英国の二の舞をせぬためには、短期間でタリバンとアルカーイダに大打撃を与えて、タリバンにはテロリストを支援する事の不利益を悟らせ、米軍はアフガニスタンから撤退すべきであった。しかし、タリバンとアルカーイダが辺境に逃亡して、12月に親米政権がアフガニスタンに成立すると、ブッシュ大統領はイラク戦争の準備を始めた。イラクのサダム・フセイン政権が、テロリストを支援し、大量破壊兵器を密造しているという情報があったからである。

     2002年1月、ブッシュ大統領は「イラクとイラン、北朝鮮は悪の枢軸である」と演説した。しかし、クウェートを侵略したサダム・フセイン政権に対して、ブッシュ大統領の父のブッシュ大統領が1991年に行なった湾岸戦争で、イラク軍は壊滅的な損害を受け、核兵器開発施設は完全に破壊された。湾岸戦争は国連安保理事会の決議に基づいて、米軍を中心とする多国籍軍が行なったので、戦後もイラクに対する経済制裁が行なわれ、国連監視団もイラクが大量破壊兵器を開発している証拠はないと言明していた。イラクを攻撃すべきかどうか、米国でも1年数か月にわたって論議が行なわれた。当時、上院議員だったオバマ大統領は、「国益にそぐわない愚かな戦争だ」と言ってイラク攻撃に反対した。冷静に現実を直視すれば、これは当然の判断であったろう。

     2003年3月20日、ブッシュ大統領は「イラクの自由作戦」が開始されたと宣言し、 目的は大量破壊兵器の開発阻止とイラク国民を圧制から解放して民主化を支援することであると説明した。米軍を中心とする有志連合軍は、たちまちイラク軍を壊滅させて、サダム・フセインを捕虜にした。しかし、大量破壊兵器を開発していた形跡はなかった。フセイン政権の崩壊でイラクは内乱状態となり、米軍は撤退する機会を失なってしまった。米国はイラクの泥沼にはまり込んでしまったのである。米軍がイラク戦争に重点をおいている間に、アフガニスタンではタリバンが勢力を盛り返し、米国はアフガニスタンでも泥沼にはまってしまったのだ。

     米国が2つの中東戦争で苦闘しているのは、中国にとって勢力を拡大する絶好のチャンスだった。急速な軍備拡張を推進しながら、中国は周囲の国々への圧力を強化した。台湾との軍事バランスも、中国に有利に傾いた。台湾海峡で戦争が起こる事を恐れるブッシュ政権は、中国の要求に従って、実に細かなことにまで台湾に圧力をかけた。

     例えば、台湾の駐日大使館に相当する代表所の名称は「台北駐日経済文化代表処」とまるで台北市の機関のようであるが、それを「台湾駐日代表処」のように「台湾」を付した名称に変更してはならない、と米国務省は言った。台湾の公営企業である中国石油や中国造船の名称を台湾石油や台湾造船に変えてもいけない、と米国務省はこんなことにまで台湾に圧力をかけたのである。パウエル米国務長官は、北京で中国政府におもねて「台湾は主権を享受していない。台湾は独立国家ではない」と述べた。台湾は主権を享受していないが、独立国家である事実は否定できない。これは、台湾は中国の一部であると誤解されかねない発言であった。

     また、ブッシュ大統領は、「悪の枢軸」の1国と呼んだ北朝鮮の核兵器開発阻止を中国に委ねてしまった。北朝鮮は中国が与える石油や食料でやっと生き延びている国だから、中国が容認しなければ、核兵器の開発を行なえる訳はない。中国にとって、北朝鮮は唯一の属国である。利用価値があるからこそ、中国は北朝鮮の核開発を容認したのだ。北朝鮮は2006年10月に地下核兵器実験を行なって、日本や韓国を威嚇した。このように日本や韓国を威嚇するのに利用できるのである。

     2008年10月には日本が反対したにもかかわらず、ブッシュ大統領は北朝鮮のテロ支援国家指定まで解除したのだ。

       2、オバマ大統領、対中国政策を180度転換

     2009年1月、圧倒的な大差で大統領に当選したバラク・オバマが米大統領に就任した。中国に対しては、オバマ大統領はブッシュ路線を継承して、大変低姿勢であった。

     7月27日、米国政府と中国政府の会議で、オバマ大統領は「米中関係は世界のどの2国関係より重要である」と断言した。9月23日、国連総会でオバマ大統領は「米国と中国は相互の利益と尊敬に基づくエンゲージメント(関与)の時代に入った」と、中国を重視するスピーチを行なった。

     このような米国の中国重視の結果、「米中G2論」がさかんに言われるようになった。米国と中国の2国が中心になって、国際問題、特にアジア・太平洋地域の問題を解決して行く、と言う考えである。

     ところが2010年になると、米国の対中国政策は大きく変化する。経済的には米中関係は緊密であり、いろいろな面で両国が協力することも多い。しかし、政治面で米国の対中国政策を注意して見ると、オバマ大統領が対中国政策を大転換した事が明らかになってくる。

     2010年1月、米国が台湾に対して防衛用の兵器を売却することを発表すると、中国は激怒した。1979年に中国と正式に国交を結ぶまで、米国は台湾の中華民国を承認して相互防衛条約を締結していた。中華民国と断交した米国は、台湾関係法を制定して、台湾の防衛に協力し、兵器の供給も続けてきた。米国の台湾に対する兵器売却は、今さら中国が激怒するような事ではないのである。

     中国が怒ったのは、オバマ大統領が「中国との関係は世界のどの2国関係よりも重要である」と言ったからには、建国以来の中国の念願である「台湾統一」を妨害することはないと期待していたからであろう。中国の指導者たちの中には、台湾併合を突破口としてアジア・太平洋で覇権を確立しようと考えている者が少なくない。例えば、2005年4月の中央軍事委員会拡大会議で、中央軍事委員会副主席と国防相を兼任したことのある中国軍の長老、遅浩田は次のような内容の激烈きわまる演説を行っている。

     遅浩田は、「現代は戦国時代である」と規定して、「覇権を持つ国だけが大国であり、覇権を持たなければ、他国に支配されることになる」「台湾海峡での戦いは必ず勝たねばならない。もし負けたら、甲午戦争(日清戦争)の敗北より、もっと悲惨な結果になる」「日本を全面的に破滅させ、米国を不具にしなければならない。核戦争だけがこの任務に堪え得るのである」と述べている。毛沢東も「核戦争は恐れるに足りない」と言ったが、遅浩田は「核戦争で日本を破滅させて日清戦争の仇を取り、米国にも大損害を与える」と言ったのだ。まさしく、1世紀遅れてやってきた帝国主義国家の軍指導者として面目躍如である。現役時代の遅浩田は、空母の建造や軍の近代化を強く主張した。遅浩田が主張したとおり、中国軍は空母の建設を推進するなど、軍近代化の道をまっしぐらに進んできた。この遅浩田の演説以後、劉亜州や朱成虎など中国軍の有力な指導者たちは、「太平洋を東西に分割して、その西側を中国の支配圏として、東側を米国の支配圏にしよう」と公然と語るようになったのである。

     2010年5月の米国との戦略対話以来、中国は「南シナ海は、中国の核心的利益である」と主張するようになった。中国はチベットや台湾に対して「核心的利益」という言葉を使ってきたが、これらの問題では決して譲歩できないと言う意味である。1970年代から、中国は南シナ海の島々を占領し始めた。南シナ海には台湾、フィリピン、べトナム、マレーシアなどの周辺諸国が領有権を主張している島々が存在する。中国は、1988年3月にベトナムと海戦を行なってまで、南沙諸島のいくつかの島を占領したように、かなり強引に多数の島々を占拠した。これらの島々を根拠にして、中国は1992年に制定した領海法で南シナ海の大部分を自国の領海と定めた。尖閣諸島を含む東シナ海の大部分を中国の領海と定めたのも、この領海法である。

     アジア・太平洋の多くの国々にとって、南シナ海を通るシーレーンは生命線なのだ。南シナ海を通らなければ、他国と交易できない国々もある。東アジアや東南アジアの多くの国は、南シナ海からマラッカ海峡を通ってインド洋の国々と交易し、さらには中東から原油を輸入している。日本など東アジア・西太平洋の国々から南シナ海に入る航路は、台湾海峡と台湾・フィリピン間の海峡があるが、台湾海峡は浅く、フィリピン寄りのルソン海峡も浅瀬が多いので、大型船舶は台湾寄りのバシー海峡を通っている。もし、中国が台湾を占領すれば、3、000メートル級の山々が嶺をつらねる台湾の中央山脈に多数の短距離ミサイルを配置するだけで、中国はバシー海峡を支配できるのである。従って、中国は台湾を支配下に置けば、東アジアから東南アジア、西太平洋の国々も覇権下において、これらの国々の資本や技術、資源などを利用しやすくなるのだ。

    そうなれば、中国は東欧諸国を覇権下において冷戦を戦った時代のソビエト連邦よりはるかに強大な力を持つ事になり、米国でさえ存亡の危機に追いつめられる事になる。中国が東アジア・西太平洋を覇権下に置く事を防ぐためには、関係諸国の緊密な連帯が必要なのである。

      2010年7月、ベトナムで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とする会議で、ヒラリー・クリントン米国務長官は、「南シナ海の航行の自由には、米国の国益がかかっている」と強調し、「南シナ海の島々をめぐるASEAN諸国と中国の対立は、米国も関与して多国間協議で解決すべきだ」と述べた。中国に威圧されてきた南シナ海の沿岸諸国にとって、強力な味方が現われたのである。早くも同年8月には、米海軍はベトナム海軍と南シナ海で合同演習まで行ったのだ。

     同年9月7日には東シナ海の尖閣諸島の近くにいた中国の漁船に対して、日本の海上保安庁の巡視船が領海侵犯だと警告して近づいたところ、中国漁船は巡視船に衝突して逃走し、それを追跡したもう一隻の巡視船にも衝突した。巡視船は中国漁船を捕獲して、船長を公務執行妨害で逮捕した。中国政府は、駐中国日本大使を何度も呼びつけて、尖閣諸島のある東シナ海は中国の領海であり、不当逮捕だと抗議した。9月13日に日本側は、船長以外の漁船員14人を帰国させ、漁船も返却したが、中国は船長も釈放させるために、全く無関係な在中国日本企業の社員を逮捕したりして圧力をかけた。漁船を巡視船に体当たりさせるようなことは普通の漁船長がやる事ではないので、これは日本政府の反応を見るために行なった中国側の作為的な事件と見られている。米国務省は、「米日同盟はアジアの平和と安定にとって要石である。尖閣諸島は米日安保条約の適用対象である」と、日本の後押しをしてくれたが、もともと中国に対して屈従的な態度をとってきた民主党政権は、中国の圧力に屈して、9月24日に中国人船長を処分保留で釈放させた。

    同年10月8日、ノルウェーのノーベル賞委員会は、中国の民主化を要求する「08憲章」を起草したために国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑に服している劉暁波にノーベル平和賞を授与することを発表した。中国外交部は、ただちに駐中国ノルウェー大使を呼びつけて抗議し、ノルウェーに圧力をかけ始めた。中国政府は、劉暁波夫人を自宅軟禁下に置き、劉氏の親族がノーベル平和賞の授賞式に参加することも禁じた。中国の圧力でASEANのメンバーであるベトナム、フィリピン、インドネシアなどの駐ノルウェー大使も、授賞式に出席しなかった。

     12月10日にオスロで開かれた授賞式では、劉氏が座るべき椅子は空席とし、近くに彼の大きな顔写真が掲げられた。ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、「受賞者がここにいないことを残念に思う。彼は今、中国の監獄で1人、孤独に耐えている。夫人や近親者もここに出席できなかった。この事実だけでも、授賞が必要であり、適切だったことをしめしている」とスピーチした。このことは授賞式の写真と共に広く報道され、中国は民主化を要求しただけで重刑を科す専制独裁国家であることを国際社会に強く印象づけたのである。

     同年11月、オバマ大統領はインド、インドネシア、韓国、日本を訪問した。彼の韓国、日本訪問は同盟関係を強化するためであったが、インドとインドネシアを訪問したのは中国に対する防衛問題で協力関係を構築するためであった。

     特にインドは、これを米国の対中国政策の戦略的大転換であるとして、大いに歓迎した。中国は陸の国境線でインドに軍事的圧力をかけ続けてきただけでなく、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーに中国海軍が利用できる軍港を構築して、海上からインドを包囲している。中国の人口は約13億5千万人、インドは約12億人で、両国は世界でずば抜けた人口大国であり、経済成長も著しい。中国が「真珠の首飾り」と言われるインド包囲網を築いたのは、東アジア・西太平洋だけでなく、インド洋まで中国の覇権下におくことを目指しているからであろう。米国が「G2」と呼ばれるほど親中国的な政策をとっている事で、苦しい立場に置かれていたインドは、米国の戦略転換を喜んで積極的に対応し、米国との協力関係の構築を推進している。

     2011年1月14日、ヒラリー・クリントン米国務長官は、「G2というものは存在しない。米国には日本、韓国、タイ、オーストラリア、フィリピンという強固な同盟国が存在する」と語った。この4日後に中国の胡錦濤国家主席が訪米することを意識して、クリントン長官はこのような中国を牽制する発言を行なったのであろう。米国と日本の強固な同盟関係は、その2か月後に発生した東日本大震災によって完全に証明された。

     東日本大震災が起きた日、ワシントンDCで3月11日の早朝にオバマ大統領は、「米国と日本の友情と同盟は揺るぎない。米国は日本の救援に全力を尽くす」と述べて、米軍に救援活動を命じた。この命令によって、米軍はオペレーション・トモダチ(友達作戦)をただちに発動した。仙台空港と周囲の道路は津波による泥と瓦礫に埋もれて、空港を復旧するメドがたっていなかったが、3月16日に沖縄の米軍基地から来た特殊戦術飛行中隊は隊員と建設機材をパラシュートで降下させ、わずか数時間で大型輸送機が離着陸できるように滑走路を修復し、援助物資の輸送を始めた。米軍がトモダチ作戦に投入した兵員は18,000人、艦船は空母ロナルド・レーガン以下19隻、航空機140機であった。米軍は長期にわたって自衛隊と共に救援活動を行ない、死者の捜索まで行なった。このような米軍の活動は、いかなる条約や約束よりも、日米同盟の強固さを証明した。

     同年2月8日、米軍のトップに立つ軍人であるマレン統合参謀本部議長は、「国家軍事戦略」を発表し、中国の軍備拡張を注視すると同時に、東アジアにおける米軍の戦力を今後数十年間にわたって維持して行くと強調した。2010年2月に米国防総省は安全保障戦略の基本方針である「4年ごとの国防計画見直し=QDR」を発表したが、このQDRに基づいて決定された「国家軍事戦略」は、米国の軍事戦略の大転換を明らかにしたのである。

     この「国家軍事戦略」は、日本の自衛隊の海外での活動能力の向上に協力することや東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係強化、台湾の自衛力維持への協力なども定めている。この米国の新しい軍事戦略に呼応して、ベトナムは潜水艦の増加など軍事力を増強する方針を打ち出し、米軍と協力して南シナ海における自国の権利と航行の自由を守るために、米艦がカムラン湾など自国の港を利用することも認めた。フィリピンは、南沙諸島のパガサ島の滑走路を拡張し、フィリピンが支配している9つの島に防空レーダーを設置したり、高速巡視船を配備したりして、米軍との戦略的協力関係を強化する方針を打ち出した。

     中国の覇権拡張を阻止するために、東アジアでの防衛体制を強化するには、米国はイラクとアフガニスタンの泥沼から脱出しなければならない。オバマ大統領は、2011年末までに米軍をイラクから完全撤退させ、アフガニスタンの米軍も2011年7月に撤退を開始し、2014年にはアフガニスタン政府に治安権限を移譲して全米軍を撤退させる方針である。

    2011年5月2日、米海軍特殊部隊はパキスタンの首都近郊に潜伏していたアルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディンの殺害に成功した。最大のテロ組織の指導者を倒したことは、米国の対テロ戦争における大きな勝利であり、米軍のアフガニスタンからの撤退を援けることにもなろう。

     同年3月19日、米国と英国、フランスなどの空軍が、国民を武力で弾圧しているリビアの独裁者、カダフィ大佐の軍隊に攻撃を開始したが、3月末に米軍は指揮権を北大西洋条約機構(NATO)に引き渡した。やっとイラクとアフガニスタンの泥沼から脱出しようとしている米国が、アフリカで新たな泥沼にはまり込んではならない、とオバマ大統領は考えたのであろう。

     同年5月7日、8日にインドネシアのジャカルタで東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が開かれ、閉会後の8日に発表された議長声明には、南シナ海の領有権問題について「2国間または関係国の間で取り扱うのが最良」と書かれていた。「2国間交渉」を主張する中国に配慮した結果であるが、ベトナムなどが反発して、11日に再発表された議長声明ではこの部分が削除され、新たに「加盟国が共同して協議に臨む」と書き加えられていた。ASEAN加盟国が共同で中国と交渉すると言っても、中国の圧力に非常に弱い国もあり、足並みを揃えるのは容易でないが、中国が嫌うこのような方針が議長声明に取り入れられたのは、米国の支援を期待しての事であろう。

     同年6月4日、米国のゲーツ国防長官は、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で、中国の南シナ海などにおける覇権主義的な行動を抑制するために、この地域における米国の軍事力の優位を維持し、同盟国などとの関係を強化する方針を強調した。ゲーツ長官は、シンガポールに米海軍の「新型沿海域戦闘艦」を配備することを明らかにしたが、「南シナ海は、中国の核心的利益である」と主張する中国に、南シナ海における航行の自由を妨害させないためである事は明白である。また彼は、東日本大震災で米軍が行なった「トモダチ作戦」によって「日米同盟はより強力になった」と語ったが、この作戦は単なる同盟国に対する救援活動ではなく、日米安保体制の強化も目的の1つであった事を示している。さらにゲーツ長官は、「米国の国防予算は削減されたが、米国はアジア・太平洋地域で同盟国との関係を強化して行く。確固とした軍事力を維持し、同盟国と共に潜在的な敵国と戦う」と述べた。この「潜在的な敵国」が中国を指していることは、言うまでもない。

         ゲーツ米国防長官に「潜在的な敵国」とまで言われた中国の梁光烈国防相は、「中国軍の近代化は国防が目的であり、中国は覇権を追求しない。南シナ海の状況は安定しており、航行の自由に問題はない」と弁明した。しかし、米国とロシアに次ぐ強大な核戦力と世界最大の陸軍を擁する中国を侵略する国はあり得ないから、世界で突出した中国の軍事力増強を国防目的であると言っても、信じる人はなかろう。南シナ海における漁業や調査活動を絶えず中国に妨害されているベトナムのフン・クアン・タイン国防相は、中国の梁光烈国防相に対して、南シナ海に関する発言を「実際の行動で示して貰いたい」と注文をつけた。フィリピンのガズミン国防相も、中国の南沙諸島での新建造物は「ASEANと中国の合意に違反している」と批判した。中国の軍事的・経済的威圧を受けているASEAN諸国は、中国を正面から批判するようなことはめったになかったが、米国の強力な支援があったからこそ、これだけの発言ができたのであろう。

     これまで述べてきたように、米国を中心として中国の覇権拡張を阻止する中国包囲網が、急速に形成されつつあることは明白である。

    (続く)

       

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