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軍長老・遅浩田の「米国打倒、日本殲滅」講演全訳文
産経新聞(十二月二十七日)に掲載の伊藤正・中国総局長の記事「発展には軍事力が必要」は、中国軍の長老である遅浩田・前中央軍事委副主席兼国防相が二〇〇五年四月の中央軍事委拡大会議で行った講演で、胡錦濤政権の「平和と発展」戦略を批判し、「台湾武力解放のみか、米国打倒と日本殲滅を主張、核使用さえ肯定」していることを紹介した。それによるとこの講演録は、国内の「軍事系や民族系のネットに再登場し、多くの支持を得ている」。記事は「中国軍が何を目指しているか、平和ボケしてはいられない」と警鐘を鳴らすが、以下に講演録の日本語訳を掲げる。
これを読むと、遅浩田が国際社会を弱肉強食、他国不信の「戦国時代」に擬え、そこで勝ち抜いて行くことに国家目標に据えていることがわかる。しかしこれは何も遅浩田ら軍のタカ派だけの考えではなく、「軟弱」と批判を浴びる胡錦濤政権にしても同様のはずだ。なぜならそれが春秋戦国時代以来のこの国の伝統的な国際観、国家戦略観に基づくものだからである。
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戦争が正に我々に向かってやってくる 遅浩田
同志諸君
この題目で書くのはとても気持ちが重い。なぜなら中国の近代化はその過程で、しばしば外部勢力の打撃と直接侵略を受け、中断しているからだ。最も典型的なのは一九二七年から三七年の所謂「黄金の十年」だ。所謂黄金の十年を現代の視点から見れば少しも黄金ではなかった。その間には一九三一年の九・一八東北陥落と冀東偽政府の成立があったが、相対的に見れば一九二七年から三七年の中国経済の発展速度は速く、基礎施設建設には進展があり、軍隊建設にも勢いがあって、中国には希望があった。
しかしこれは日本はこれを容認できなかった。そして東三省の併呑だけでは満足できず、ついに堪え切れずに全面的な侵華戦争を発動し、中国は焦土抗戦政策を迫られ、八年間を何とか持ちこたえた。中国は惨勝を得たものの、外モンゴルを失い、精気は大きく傷つき、財産の損失は六千億元以上に達し、八年の戦火によってもともと貧弱な中国は更に一窮二白となった。日本の侵略、特に全面侵華戦争は大きく中国の近代化を遅らせた。
中国の発展を許さず、近代化の進行を阻害することが列強、特に日本の不変の国策だった。我々はこれに関し、最も痛切な歴史教訓を持たなければならない。国と国との関係には協力があるが、しかし更に本質的なものは競争、衝突、そして衝突の極端な形としての戦争だ。協力とは暫定的なもので、条件付きのものだが、競争と衝突は絶対的なものであり、歴史の主軸だ。このため、所謂平和と発展が現代の主題だとする主張は完全に間違っている(どんなに譲っても便宜上のものでしかない)。この種の主張には推敲に耐え得る論理的根拠などないばかりか、事実と歴史経験にすら符合していない。中日両国がこのように地理上、歴史上において和解し合えない関係だからだと言うのではない。
六〇年代の中ソ分裂もまた、いかなる国も国家利益の追求を唯一の行動基準とし、道徳が介在する余地などないと言うことを十分に説明するものだった。当時中ソ間には共通のイデオロギーがあり、共通の敵に直面し、しかも低い科学技術のレベルの中国はソ連の脅威にはなり得なかったが、しかし中ソは分裂し、更に進んで鋭く対立したのだった。その間に原因、端緒はたくさんあったが、しかし根本の原因はソ連が日増しに発展、強大化する中国が肩を並べてくる様を見たくないことにあった。たとえこの種の趨勢でも、その現実化は許さなかった。イデオロギー、敵が共通し、一方は強く一方は弱い中ソでも分裂したのだから、所謂「平和と発展」を現代の課題とする呪語によって主導される中国の政略、戦略、そして外交の虚幻性、脆弱性、危険性は十分に明らかだ。「平和と発展」を現代の主題とする主張は完全に誤りであり、自分だけの考え方であり、麻痺作用をもたらす有害な学説だ。その原因は下記の如しだ。
一、列強には中国近代化の進展過程への打撃がその一貫した国策だった
中国の近代における歴史経験、教訓、そして中華人民共和国五十年来の歴史経験と教訓から、このような歴史規律——列強の中国近代化の進展過程に対する打撃(全面戦争と言う手段を含む)がその一貫した国策——があることを知ることができる。過去の百六十年はそうだったが、今後の百六十年もやはり同様である。
二、発展は危険と脅威を意味しており、「戦争権」がなければ発展権はない
発展が危険と脅威を意味することは世界の歴史の通則だ。ただ中国の歴史の上だけに特例がある。たとえば漢王朝では当時の地理の極限内においてあらゆる敵を打ち破った後に「門」を閉ざして発展し、更には「天下主義」を生み出している。それは人口、軍事、経済、文化のどれを比較しても、いかなる種族も大漢民族には比肩できず、比肩するだけの潜在能力も持っていなかったからだ。
戦国時代には一国の発展は他の一国にとっての脅威を意味した。これこそが世界の歴史上での通則であり、西側の外交の核心と礎石である。西側の外交の鼻祖はフランスの赤い法衣の主教リシュリューで、まさに彼は外交の領域において中世の「蒙昧」から抜け出し、近代外交の道を開いていかなる道徳、宗教の束縛を捨て去り、国家利益を軸にした最初の人物だ。彼が制定した外交政策は、フランスに二百年以上にもわたって恩恵をもたらし、欧州を主宰させた。彼が画策した三十年戦争はドイツの人民に苦しみを与え、この国を諸小国に分裂させ、ビスマルクがドイツを統一するまで動揺させ続けた。そしてドイツの進展過程を見れば、ビスマルクの「戦争権」がなければ国家統一はなく、発展権など更になかったこともわかる。
三、軍刀下の近代化は中国唯一の選択
中国脅威論はまったく正しい。これが典型的な西側の考え方だ。
「私は門を閉ざして自己の経済を発展させる。文句を言うな」と言った中国の思考方法は愚かであるだけでなく、国際基準とも合わない。戦国時代、国家利益と言う残忍な領域ではいかなる温情も受け入れられなかった。少しでも幻想を抱いた者は大歴史の残酷な懲罰を受けた。中国の発展はもちろん日本には脅威だ。中国自身はそのような考えなくてもいいが、しかし中国には日本など列強の国際基準に合わせた根深い思考を改変することはほとんどできない。そこで我々の思考の起点は「中国の発展は日本等への脅威である」でなければならなくなる。
「理」に従えば、どの国、民族にも生存権、発展権がある。たとえば中国経済が発展すれば石油の輸入が必要となり、中国が生態を保護するために山を封じて森林を保護すれば、木材などの原料を輸入しなければならなくなる。これ以上当然のことはないし、「理」に適ったものもない。しかし列強には列強の「理」がある。もし中国のような大きな国の石油購入量が二〇一〇年に一億トンに達し、二〇二〇年に二億トンに達したなら、列強は容認するだろうか。
基礎的な生存資源(土地、海洋を含む)の争奪は歴史上、圧倒的多数の戦争の根源となっている。この情報化時代に変化はあっても本質的な変化はない。発展した先進文明国であるイスラエルのような国でさえ、五十年もアラブ、パレスチナと戦っている。それは大きな地域を巡るものではない(水源争奪でもない)が、今でも毎日戦っている。正当すぎる発展権を獲得するため、中国は戦争の準備をしなければならない。これは我々が決めたものではない。我々の中の一部の善良な人々の善良な願望が決めたものでも更にない。実際にはこれは「国際慣例」と列強が決めたものなのだ。
中国の二十年来の「平和と発展」政策はすでに終着点に到達した。国際環境にもすでに質的変化が生じ、列強は再び中国の近代化の発展過程を断ち切る準備を行っている。そのため中国は発展し、自己の発展権を守るため、戦争の準備をしなければならない。戦争の準備を行って、初めて発展には空間と時間が与えられるのだ。二十年来の平和で牧歌的だった発展の時代はすでに終わっている。
次の演目は軍刀下での近代化しかない。
四、(大)外交が内政を決定する
目下中国のタカ派にしても必ずしも今すぐの戦争を主張しているとは限らないが、たとえば国家統一の戦いや南支那海の権益を守るためなど、我々にはそれを行う充分な理由がある。これは、百六十年来、ほとんど認められないで来たからこそ非常に貴重になっている発展権を守るためだ。この種の発展権が日増しに脅威を受ける時は、我々が武器を取って、中国人の発展権を守るべき時だ。
内政が外交を決定すると言うのは正確だが、この戦国時代においては(大)外交が内政を決定していることも忘れてはならない。これは理論上の話だけでなく、中華人民共和国の歴史経験からも言えることだ。七〇年代の中国の国防支出は科学、教育、文化、衛生支出を合わせたものよりも上回っていた(人民の生活が貧しかったからだ)。私はもちろん今日の中国の軍事支出がそうなることを望まない。実際に中国で最も投資を必要としているのは教育である。しかし列強は許すだろうか。科学、教育、文化、衛生に更に多くの資金を注ぎ込んでいいのか。
ある人は、ソ連で公開された機密文書は、六〇、七〇年代のソ連には中国への全面的な侵略の計画がなかったことを証明していると言っている。たとえその文書が正確だとしても、やはり「歴史の真実」は説明できないだろう。将棋とは双方向のもので、中国の最も充足した精神、物質面での準備が、ソ連の全面的な中国侵略でのリスクとコストを極大にまで増加させ、歴史も完全に違った方向へと向かったのだ。この角度から見れば、どのような者が本当の平和防衛者であるかがわかるだろう。軟弱者はただ侵略を招くだけなのだ。
五、善を求めて悪を得る 中国の未来の十年は平和であり得るか
中国の近代化の進展過程を断ち切り、中国人から発展権を奪うため、列強はたくさんのカードを切ることができる。最も明らかな三枚のカードは「三つの島」だ。その中で台湾カードが最も有効だ。台湾海峡の戦いはいつ勃発するのか。その決定権は中国の手中にはなく、台湾独立分子の手にもなく、米日の手に握られている。もし台湾海峡の戦いが始まったら、それは統一の戦いと言うだけにとどまらない。更に深層的には米日が中国人から発展権を剥奪し、再び中国の近代化の進展過程を断ち切ろうと決意したと言うことだ。まさに歴史上の甲午の戦い(日清戦争)や全面的な中国侵略で日本が行ったのは領土や賠償金の獲得だけでなく、もっと本質的には中国の近代化過程を断ち切って中国人の発展権を剥奪したことだったが、それと同じことだ。
そのため、我々は戦略決戦を以って高度に台湾海峡戦争を取り扱わなければならない。我々の現在の武力水準では、米日にとっては戦略決戦とは言えない。特に米国にはなおさらそうだ。なぜなら中国は少数の大陸間弾道ミサイルしかなく、一方米国はすでに本土ミサイル防衛を発展させる決心がある。
台湾海峡戦争勃発の時期の引き延ばしを阻止するため、まず台湾海峡の戦いを「対称戦略決戦」の水準に引き上げなければならない。すでにお互いが死ぬと言う段階なのだ。我々が台湾海峡の戦いに勝つことができなければ、その結末は甲午戦争の敗戦の時よりもっと悲惨となる。そのため戦わずば已み、戦わば全面的に日本を全面的に破滅させ、米国を不具にさせなければならない。これは核戦力だけが任に堪え得るものである。
善を求めて悪を得るが我々現下の政策の最終結末である。悪を求めて善を得る、つまり日本を全面的に壊滅させ、米国を不具に陥れる能力があって初めて平和を勝ち取ることができるのだ。そうしなければ台湾問題で、十年も経たない内に必ず大戦が起こる!
六、覇権は大国存在の本質的特徴
何を大国と呼ぶか。覇権を持つ者が大国だ。覇権がなければ分割され、運命(発展権を含む)を他者に支配される人形だ。覇権はこの戦国時代において客観的存在で、「人の意志を用いずに転移するもの」だ。問題はただ意識がそこに至るかどうか、主動的に追求するか、もしくは受動的に近づいて来るかに過ぎない。三島問題、戦略産業の発展問題、国内各階層の利益調整問題を含む中国の一切の問題は、最終的には中華民族による覇権争奪の問題だ。
覇権争奪のためには内紛を止め、安定と団結が求められる。英国は海外殖民による巨大利益のため、早くから「労働者階級の貴族化」が実現し、日本は中国から巨額の賠償金と市場を取って上層階級だけでなく、下層階級にまで巨大な利益をもたらした。時代は違うし国情も異なるが、実質は変わっていない。我々は覇権の視角で軍事、外交問題を扱うだけでなく、更に覇権の視角で内部の階層、階級利益の調整問題も見なければならない。本国の下層を圧迫、搾取する上層エリート階級は、この戦国時代において民族利益を代表することはできない。彼らは腐敗、没落、意気地なしであり、制限を受け、消滅させられなければならない。成熟し、知恵のある上層が初めて民族利益を代表することができる。つまり対内的に「譲歩政策」を実行して下層を指導し、共同で海外利益を獲得することができるのだ(この問題は複雑につき、後日詳細を述べよう。中国は巨大な海外利益を持っているが、ただ我々がまだ積極、主動的に開発に乗り出していないだけだ)。
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
解除するには下記URLにアクセスして下さい。
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