「台湾の声」【主張】語学は地域研究の基礎ではないのか―台湾研究者への問いかけ
(文字化けのため再送)
多田 恵(台湾語講師)
1.はじめに
日本では台湾ブームが起きている。 しかしながら台湾語研究者としては看過できない問題が起きている。
たとえば、「刈包」・「割包」などと漢字表記される「台湾バーガー」の原音を、どう表記するか。 「台湾カステラ」を表現するために「蛋糕」という漢字を使用した場合に、その原音をどう表記するか、である。
これは単なる正しい表記という問題にとどまらず、社会を指導すべき立場にある台湾研究者の学問に対する態度も問われる問題である。
2.社会の状況とその問題点
ある店では、刈包を「ガオパオ」と表記して紹介している。 ウィキペディアでは「台湾語:グァバオ」と表記しているが、いずれも適切ではない。 「蛋糕」(中国語)を「タンガオ」と表記するのも同様である。
「ChhoeTaigi」(ツォエ タイギー、台湾語を探す)というウェブサイトで「漢字」の欄に「割包」を入力して「Chhoe」(探す)というボタンを押し、検索してみてほしい。検索結果のうち、「1932 台日大辭典(台譯)」というデータベースからの結果として「koah-pau」(「 白話字」表記)が表示される。 その右端の「詳細」を押すと、詳細が表示され「原冊頁數」という欄に「A0438」と表示されている。 この「A0438」を押すと日本語で説明された古い辞書のスキャン画像が表示され、その中に、「コァパウ割包。麺粉にて作った饅頭の如きもの。 (中に豚肉などを挟みて食す)。」 という記述が見える。 実は台湾総督府が昭和6年と7年に上下2巻に分けて出版した『台日大辞典』という台湾語の辞書がデータベース化されていたというわけだ。
樋口靖先生(東京外国語大学名誉教授)の著書『台湾語会話』第3課によれば、「koah-pau」の「k」も「p」も「無声無気音」とされている(1992年出版。 2004年の第二版3刷p.21を参照した)。 これは語学教師になるための必修科目である音声学による分析である。
「蛋糕」は中国語である(台湾語では「鶏卵糕(ケーヌンコー)」。 いずれもカステラからケーキまでを含む呼称である)。 たとえば白水社の中国語辞典を収録し、なおかつインターネットで無料で利用できるWeblioの中国語辞典でも引いてほしい。 すると「ピンイン」という欄に「dangao」という表記が示される。 ピンインというのは中華人民共和国が制定した中国語の発音をローマ字で表記する方法である。
倉石武四郎(1963)『岩波中国語辞典』によれば、ピンインの「d」も「g」も「無声無気音」である(1968年の4刷を参照した)。
さて日本語の「ガ」「グ」「バ」そして「コ」「パ」「タ」の子音は音声学的にはどのように記述されるのだろうか。 たとえば日本語教育学会(1982)『日本語教育事典』によると、ガ行・バ行の子音は「有声音」、カ行・パ行および「タ」の子音は「無声音」だとされている(p.17)。
つまり台湾語のkoah-pauについて、「コァパウ」「ガオパオ」「グァバオ」のうち、最も正確な表記は「コァパウ」ということになる。
中国語のdangaoについて「タンガオ」と表記するのは、ひとしく無声無気音である「d」「g」について、「d」は「タ」と無声音で表記したのに、「g」は「ガ」と有声音で表記することで、一貫性の無い表記になってしまっているのだ。 つまり、日本語で「濁音」と「清音」を区別する、有声か無声かという点を重視すれば、「タンカオ」が正確である。
実は、日本では「マーラーカオ」という中華風蒸しパンが知られていて、セブンイレブンでも「馬拉糕」という漢字に「マーラーカオ」というルビを振っている。 「蛋糕」という漢字を見たときに、「馬拉糕」の「糕」と同じであると気づけば、「ガオ」と表記すべきか「カオ」と表記すべきか、立ち止まって、調べてみてから決めることができたのである。
ただ中国語に限って言えば、「ダンガオ」とするという選択肢もある。 なぜなら中国語にはダ行、ガ行のような有声音が存在しない。 他方、日本語では区別されない有気と無気の区別が、いずれも無声音として存在するので、無声無気音を表すために、あえて濁点を使用するという言わば「政治的判断」も有りうるのである。 もちろん「ダンガオ」と表記して、日本語の習慣でこれを読めば、音声学的には原音に正確ではなく、「皮蛋豆腐」を「ピータンどうふ」と読む先例からも逸脱する。
一方、台湾語では、有気・無気だけでなく、日本語のような有声・無声も区別しているので、そういうわけにはいかない。 それなのに、台湾語の無声無気音を濁音(有声音)で表現している人は、台湾語の音韻体系が、中国語の音韻体系と同様に、有声・無声を区別しないものと誤解しているのだと思われる。
3.学界の状況とそれに対する問いかけ
ここまで読んで、「語学の専門家ではない企業が台湾の料理を紹介しようとしているのだから大目に見てやれ」という意見も出るかもしれない。
では台湾研究者の状況を見てみよう。 明石書店のエリアスタディーズシリーズに『台湾を知るための72章』という本があり(改訂されたものとして2022年に出版)、日本台湾学会で活躍しているような若手研究者たちが執筆している。 お互いの研究を尊重しているためか、用語やルビを全体として統一させた形跡は見られない。 学術・表現の自由はそれを批判する表現の自由とともに尊重されるべきだろう。
問題がみられるのは次のような表記である(問題がない表記もたくさんある)。 紀露霞という歌手名に、台湾語として「ギー・ロッハー」。 ダイコンの台湾語「菜頭」には「チャイトウ」とルビが振ってある(p.216)。 他方、干し大根オムレツ「菜脯蛋」には「ツァイポーヌン」とあり(p.251)、「菜」が「チャイ」なのか「ツァイ」なのか、同じ本の中で矛盾している。 これに関して、父の弟を指す「阿叔」に対する「アツェッ」というルビについても検討する。
また「歓楽街万華」に対して台湾語が「モンガ」であるように記述しているのも問題である。
紀は「ki」。 つまり無声無気音であるから「キー」が適切である。 『台日大辞典』では「キイ」と表記している。
菜は「chhai」。 叔は「chek」。 ただし、chhやchという表記には説明が必要だ。 前掲の『台湾語会話』の同じページには「(chやchhなどの)歯茎音は後ろの母音次第で2種類の読み方をします」「後ろの母音が-iあるいは-eng(-ek)ならば、ch[tʃ]、chh[tʃ‘]」「それ以外の母音ならば、ch[ts]、chh[ts‘]と読みます」とある(引用にあたり一部省略)。 なお、chが無声無気音でchhが無声有気音であることも表で確認できる([‘]は有気音を表す補助記号)。
前掲の『日本語教育事典』の次ページによれば、「ts」は「ツの子音」、「tʃ」は「チ、チャ、チュ、チョの子音」とある。 したがって「菜」chhaiは、chhの後ろが「ai」なので「ツァイ」。 「叔」chekは、chの後ろが「ek」なので「チェッ」となる。 前掲の『台日大辞典』では「チエク(ただし「エク」は小書き)」と表記されている。 chhaiについては「[サの上に横棒]イ」のように表記されてているが、国会図書館デジタルコレクションで『台日大辞典』上巻「台湾語の発音」(p.3。 13コマ)を閲覧すると、「[サの上に横棒]」という特殊な仮名は「「ツァ」の促りたる音、即ちtsaの音を表はす」と説明されていることから、通常の仮名であれば「ツァイ」と表記すべき音であることが分かる。
なおダイコンは「chhai-thau」。 つまり、「ツァイタウ」である。 断じて「チャイトウ」ではない。
「万華」は、台湾での表記「萬華」を前掲のChhoeTaigiの「對應華文」欄に入れて検索すると「Bang-kah」であること、漢字表記には「[舟孟][舟甲]」があることが分かる。 これは地名であるためか『台日大辞典』には収録されていない。 安倍明義(昭和13年)『台湾地名研究』で調べると、「バンカア」とある(p.97)。 台湾語のローマ字表記Bang-kahは「h」で終わっていたが、これについて『台湾語会話』は第5課で「音節を短めに… 発音するもの」と説明している(p.24)。 したがって、「バンカ」・「バンカッ」のあたりが妥当な表記となる。
これを「モンガ」と表記しているのは、2010年公開の『[舟孟][舟甲]』という台湾映画が日本で『モンガに散る』という邦題で紹介されたためだ。 この表記は、この映画の英語表記が「Monga」であったことに由来すると思われるが、台湾語では「バンカ」、仮に中国語(ピンイン:Mengjia)で読むなら「モンチア」といったところであり、どちらも「モンガ」にはならない。 この件については当時、メルマガ『台湾の声』や『な~るほど・ザ・台湾』でも指摘されていたし、産経新聞社のウェブサイト掲載記事でも原音と離れていることが指摘されていた。
なお、日本語は五十音図という分析的な方法で音韻を学ぶので、音声を整理して理解している人も多いが、台湾では台湾語の音韻体系やそれをローマ字で表記する方法を皆が学ぶというわけではない。 台湾語の語学教師の正式な訓練を受けていない台湾の人があるい表記(転記)をしたからといって、それが正しいということにはならないことに注意が必要である。
つまり、音声学を無視しているのは、「一国一城」である企業だけでなく、学界・社会の中で役割を認められ、真実に忠実であるべき「研究者」にも、珍しくないことなのだ。 学問というのは、主観を排し、先人の研究の正しい点は継承しつつ、新しい発見を行い、社会に伝えていくものではないのか。
それなのに、「自分はそう思った」とか、「他人がそう表記している」ということを、ダブルチェックもせずに使用するということでよいのか。 台湾のことを日本に紹介するパイオニアのような自負があるのであれば、どうやって台湾語や客家語あるいは原住民諸語、そして場合によっては中国語のルビを振るのが適切なのか一度しっかり考えてほしいものである。
音声学、音韻論という言語学関連分野を学ぶという基礎から始めてもよいし、『台湾語会話』を読むということから始めてもよい、『台日大辞典』や『台湾地名研究』から始めてもよい。 日本と台湾とのかかわりは、決して若手研究者たちが生きてきた期間に始まったものではない。 それらの研究者の中には、日本統治に対して批判的な見方を若者たちに伝えたいという立場を持つ者もいるようであるが、研究者なのであるから、自身の国内における政治的立場よりも、研究対象の事実を優先すべきである。 語学が専門分野ではないにせよ、まずは、先人がどのような研究をしてきたかということを、ざっと、であっても把握すべきではないのか。 ほかの地域の研究者であれば、個々の研究者の社会的な責任というのはそれほど大きくないのかもしれないが、台湾については、日本が統治したことがあって、研究の蓄積があり、ほかの国の研究者よりも詳しく正確であることが期待され、なおかつ、戦後、中国国民党の独裁と宣伝・教育により歪曲された情報が伝えられ、 また中国によって誤った情報が伝えられている中で、あらためて、あるいは、新たに伝えていかなければいけないこともある。 日本における現代の台湾研究はそのように重要だからこそ、台湾の言葉にルビを振りたいのなら、もう一度、基礎を固めてほしいのである。
(本稿において、声調記号は省略した)
〔メールマガジン『台湾の声』2022.9.19配信〕
2022.10.1追記:この記事で取り上げたルビの執筆者の多くからは、改訂する旨の返事があった。