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  • 2009年4月14日火曜日

    「台湾の声」【NHK】日本名は強制と言えない—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(その2)

    日本名は強制と言えない—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(その2)


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    ■NHKの意図も知らずに証言させられた台湾人たち

    「未来を見通す鍵は歴史の中にある」として、台湾統治と言う日本の「異民族統治」の不条理を繰り返し強調したのが四月五日に放映の「NHKスペシャル」の「シリーズ・JAPANデビュー」(第一回「アジアの"一等国"」)。

    番組が強調する眼目の一つが「日本は『格差と同化』という矛盾した台湾統治を続け、1930年代後半からは『皇民化運動』で日本文化を強制」(NHKオンラインの番組予告より)した「史実」だが、その史実を強調するためにインタビューを受けたのが、当時を知る台湾の老世代たちだ。

    旧制の台北一中の同窓会に集まった台湾人卒業生やその家族などもそれだった。聞くところによると、被取材者たちは、日本統治の暗部を抉り、強調する番組であることを知らされることなく、聞かれるままに当時のことを話したそうだ。複数の人が当時のプラス面もマイナス面も話したらしい。

    ところが番組は、「親日とも言われる台湾に残る日本統治の深い傷跡」(アナウンス)を強調するとの意図に適ったマイナス面の証言のみを取り上げ、それを誇張した。

    ■日本人に台湾が誤解されるのを恐れる被取材者

    番組は被取材者たちに皇民化政策当時の日本への不満を語らせた。彼らの位置付けは、明らかに「被害者」としてだった。これにより視聴者の間では、それまで抱いてきた台湾=親日のイメージが大きく損なわれたとも聞く。

    こうした公正さを欠いた番組の手法に気付いたある被取材者は「NHKに裏切られた」と述べた。「台湾へ来たことがない日本人が、これを見たらどうなるか」とも。

    台湾が韓国のような反日国家と誤解されることを恐れたわけだが、NHKはあえて誤解させるような番組みを制作したのだ。台湾人たちの本当の思いを蹂躙することも厭わずに。

    ■朝鮮の「創氏改名」と同じものが台湾で・・・

    番組はこうアナウンスした。「皇民化政策は人の名前の変更にまで及んだ」「同じ時期、朝鮮半島では新たに氏を創る創氏改名が行われ、台湾では改姓名が始まった」と。これにより視聴者には、あの悪名高い創氏改名と同じような強制が、台湾でも行われ、人々を苦しめたのか」と考えた人が少なくなかっただろう。

    朝鮮で法の改正に創氏改名が始まったのは皇紀二六〇〇年の紀元節に当たった一九四〇年二月十一日。その日台湾でも同じように改姓名が実施されたのは事実だ(原住民=高砂族の改姓名はそれより早い)。

    もっとも創氏改名に関しては、韓国人一般だけでなく、日本人の間でも「日本名の強制だった」と認識されているが、実際にはその政策は少なくても、強制を予定したものではなかった。なぜなら強制ではなく、届出によって行われたからだ。

    当時は朝鮮人人口の八割以上が、わずか半年との短い届出期間中に届出を行ったことからも、強制されたものとの印象が持たれているが、千、万単位の一族が一斉に届け出たケースがほとんどだったことを見れば、これは必ずしも不自然のことではない。

    「姓」は持っても、日本のように家の単位である「氏」を持たない朝鮮で、「姓」とは別に「氏」の設定が義務付けられたのは確かだ(もっとも「姓」は戸籍から抹殺されず、その「氏」と並存)。創氏を届けなかった者は、従来の「姓」がそのまま「氏」となったが、改名は義務付けられなかった。

    日本名は朝鮮人の側から求められたものでもあった。満洲に移民した朝鮮人は漢人からの迫害を逃れるため、創氏改名を要求、朝鮮総督府を困惑させていた。日本国民である以上、内地人との格差を嫌い、新時代に適用しようとした人々も法律上「氏」の設定を望んだ。戦後の日本人が聞けば耳を疑うような話だが、当時はそう言う時代だったのだ。総督府による創氏改名には、そうした要望に応えるとの動機もあった。

    いずれにせよ朝鮮の創氏改名は、強引な日本名の押し付けなどでなかったことは明らかなのだ。南次郎総督は官吏に対し、絶対に強制しないように三度にわたって訓示した事実もある。

    その一方で、下層の管理が創氏改名を競い合い、そこで「強制」性が見られたことはしばしば指摘されるところだが、もしそのレベルでの強制ならば、今日の韓国人の主張とは大きく異なってくる。

    では台湾での改姓名はどのようなものだったのか。

    ■台湾の「改姓名」は条件付の許可制だった

    改姓名が実施された四〇年二月十一日、その理由について台湾総督府の森岡二郎総務長官は「本島人も日本臣民として実質、形式共に内地人と毫も異なる所のないものにしなければならない。之が本島統治の方針と合致するものである。之れ経済的搾取を目的とする欧米諸国の植民地政策と根本的に異なり、同化政策を採る所以である」と述べている。

    また「第二の理由として、本島人中姓名変更を欲する人々の希望を達成せしむる為である」とも強調、「姓名を内地人式に強いるものでは勿論ない。之は許可制度としたことで明瞭である」と付け加えた。

    もちろんそこには他の理由もあったようだ。支那事変中である当時、急進的な同化政策である皇民化運動の目的には、敵に通じかねない台湾人の漢民族意識を抑止し、日本国民としての自覚を強化させることがあったが、人々の漢民族式の名前は、中国への心理的な繋がりを残すものと見られていたのだ。

    しかしだからとして改姓名に期待しながらも、それを強制的に行わせたわけではない。森岡長官が述べるように、それは「許可制」だったのだ。

    ■日本は台湾人改名の弊害を恐れていた

    「許可制」が採用されたのは台湾人の反撥を恐れたからではなく、改姓名がもたらす弊害を懸念したからである。

    一言で言えば歴史文化の違いから、台湾人は日本人への同化の上で、朝鮮人より遅れていた。たとえば同化の基準の大きな一つは日本語の常用率だが、その点で台湾人は朝鮮人より低かった。やはり重要な基準となる「国民」としての意識においてもそうだった。

    そこで改姓名を許可する条件として掲げられたのが「国語常用の家庭であること」「皇国民としての資源涵養に努むる念厚く、且つ公共的精神に富める者たること」などである。台湾出身の歴史学者、黄文雄氏は「一族三代から犯罪者を出していないこと」も条件だったと証言している。

    そもそも台湾人との文化の異なりが、国民の同一性を求める日本人をして台湾人を疑わせ、警戒させ、それが差別待遇の淵源の一つともなっていたほどだ。そのような状況の中で台湾人に、朝鮮におけるように届出だけで日本名を許可するような措置は採れなかったのである。

    司馬遼太郎の『台湾紀行』で「老台北」ニックネームで登場したことでも知られる蔡焜燦氏(一九二七年生まれ)は改姓名をしていない。そこでご本人に当時の状況を聞いてみたところ、「許可制だった。強制は一切なかった」として、次のような話をしてくれた。

    「私は昭和二十年一月、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊した。台湾人は三万人が志願したが、入隊したのは四十名だった。その内改姓名していたのはわずか四、五人。それに対して朝鮮人はみんな日本名だった。私は上官から、あくまでも『さいこんさん』と呼ばれ、可愛がられた。日本名でなくても、私は銀時計組だった」

    本当に強制はなかったのか。許可制ではあったが、「なかば強制するものであった」(戴国輝『台湾と台湾人』)、「地域によっては厳しく強制するところもあった」(富沢繁『台湾終戦秘史』)と言った指摘も少なくない。申請を行わない「国語家庭」に対し、警察官(住民の生活指導を担当)が強く指示し、あるいは教員が奨励したことを指しているようだ。

    その一方で多くの台湾人が改姓名を望んでいたとする政府側の記録も少なくない。それは食糧の配給が内地人並みに優遇されるなどの理由もあったからも知れないが、それよりも台湾人も朝鮮人と同様、内地人との格差撤廃を熱望していたことに注目したい。

    日本統治下で日本国民として生まれ育ち、それでありながら内地人との間に格差を設けられるなか、志願兵制度の施行で志願に殺到し、正真正銘の国民と認められようとした当時の人々の感情に照らせば、そのような願望から改姓名を希望したとしても不思議ではない。

    ■「良し悪し」では語ってならない歴史がある

    改姓名が許されて三年後の四三年の段階で、許可された者の数は約十万人。六百十万人の台湾人人口の一・六%にしか達していない。朝鮮の人口の約八割が創氏改名を行ったことに比較すれば、わずかな数値である。差別撤廃が進んだ終戦直前には一〇〜二〇%に増加したとの見方もあるが、それでもはるかに低い。

    しかし戦後日本人が多く抱く歴史観から言えば、「数値の問題ではない」となるのだろう。

    「名前を日本式に変えさせるなど人権無視だ」「台湾人への何らかの強制はあった」「許可制とは言え、台湾人を改姓名へと向かわせた社会、教育が悪い」「台湾人は日本支配下でやむなく改姓名をしたはずだ」と。

    つまり「日本は異民族を統治したのが悪かった」と。

    しかし私は台湾統治も改姓名も「悪かった」とは思わない。だからと言って「良かった」と言う気もない。

    列強時代の日本はアジアにおける自らの独立を守るべく、中国南部、南洋への経済進出(南進)の足がかりとして、あるいは他国にこの軍事的要衝の島を奪われるのを恐れて台湾に着目し、日清戦争の結果として清国から台湾の割譲を受け、そこを領土の一部とした。そしてこの島の経営を安定させるため、住民を内地国民とは文化、文明の面で格差のない人々に変え(同化させ)、国民国家の一構成員にしようとした。そしてその過程において、改姓名を必要と認め、それを実施に移した。

    しかし社会の変革には摩擦が付き物である。このような改姓名が台湾人に不快感を与えたり、誇りを傷つけたことも十分に考えられる。そしてそのような台湾人の感情を考えるなら、気の毒とも思うし、日本人側の不条理を考えざるを得なくなる。

    私にはあの時代の歴史を考えるとき、日本統治下の台湾人の「悲哀」感情を探り、尊重する習慣がある。台湾の老世代から話を聞いている内にそうなった。そしてその結果、日本人として「台湾」を重んじる言論活動を行うに至ったとも言える。

    だがそれでも敢えて言うが、そのような「悲哀」があったことを以って、上に記した日本の台湾統治と言う歴史的営み(歴史の大きな流れ)を「悪いものだった」と断罪するのは、あまりにも乱暴な評価の仕方だと思う。

    これでは独裁国家の政治的意図に基づく歴史観と変わらず、歴史に対する視野を狭め、あるいは歴史を見誤ることになりかねない。

    ■探し出した「反日証言」はそれだけか

    ところがあの番組は、その「乱暴さ」が明らかに際立っていた。

    「台湾では改姓名が始まった」とのアナウンスの後、改姓名を経験した人々が当時の「不満」を語りだす。

    まず男性がこう言う。

    ———私は林(りん)。お父さんは林(はやし)と言う名前で改姓名したかった。それ、許可しない。台湾の「林」には必ず、中林、大林、小林と、もう一字付け加えないといけない。

    次いで女性が語る。

    ———私は黄で廣内。この字(黄)を残すように。そう言うのが多い。

    そこへすかさず番組の取材スタッフが質問する。「それはどう言う思いからですか」と。女性は当然のようにこう答える。

    ———昔の自分の姓を残したい。

    このように番組は、台湾人への文化弾圧を強調するため、「皇民化政策は人の名前の変更にまで及んだ」とまで言いながら、韓国人のように「強制だった」との証言は台湾人からは得られなかったらしい。ここでは主に、改姓名自体への不満と言うより、改姓名の手続きへの不満を語らせるしかなかった。

    もっとも女性はこうも回想している。

    ———改姓名は結局、公務員の方は職場で、改姓名すると昇進の条件になってしまう。

    ———それでみな仕方なしに改姓名をする。

    公務員は改姓名に応じなければならなかったようだ。さぞ不本意なことだったに違いない。

    しかしもし私がここで番組に対し、「それ以外に証言はなかったのか」と聞いたら不謹慎だろうか。

    上記のように番組は「1930年代後半からは『皇民化運動』で日本文化を強制」との文脈の中で、「皇民化政策は人の人の名前の変更にまで及んだ」と強調しているのだ。私などは甚だ物足りなさを憶える。

    だが、多くの人は最初からこれら証言を「改姓名強制の証言」として受け止めたはずだ。

    ■独裁国家のごとく歴史を捏造するNHK

    だから歴史の描き方が「乱暴」だと思う。それなりの証拠も示せないまま、台湾統治史を知らない多数の視聴者に改姓名強制との印象と与えてしまうのも「乱暴さ」の「乱暴さ」たる所以である。人の意識を操作する「巧妙さ」に支えられた「乱暴さ」である。

    私は番組が改姓名の歴史を捏造したとは思わない。「強制があった」とも一言も言っていないからだ。しかし視聴者に誤った歴史イメージを伝えたなら、それは歴史捏造に等しくなる。

    もしそれが故意によるものなら、これは公共テレビ局としては断じて許されないことである。なぜなら日本は独裁国家ではなく、民主主義国家だからだ。

    こうした話を番組のディレクターに直接電話で伝えたが、何の回答もなかった。「意見は書面で、回答も書面で」と言う。

    私は「回答をもらっても、それで問題は解決しない。誤った歴史を何万人もの視聴者に押し付けた責任は追及されなければならない」と伝えたのだった。

    【主な参考文献】
    伊原吉之助「台湾の皇民化運動」(中村孝志編『日本の南方関与と台湾』所収、天理教同友社、昭和63年)
    黄文雄『台湾・朝鮮・満州—日本の植民地の真実』(扶桑社、平成15年)
    名越二荒之助編著『日韓2000年の真実』(国際企画、平成9年)

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