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  • 2009年4月8日水曜日

    「台湾の声」【NHK糾弾】信仰破壊の真相—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(その1)

    信仰破壊の真相—NHKスペシャル「台湾弾圧」史観の問題点(その1)


    ブログ「台湾は日本の生命線!」より
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    ■戦時下台湾の皇民化運動もターゲットにした反日番組

    「親日的とも言われる台湾で、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きて行く日本が分かち合わなければならない現実。過去と向き合う中から見えて来る未来。百五十年前に世界にデビューしたジャパンの歴史が、私たち一人ひとりの明日を問いかけている」と訴えたのが四月五日に放映された、「NHKスペシャル」の「シリーズ・JAPANデビュー」(第一回「アジアの"一等国"」)。

    反日的な歴史ドキュメントには隘路であり続けてきた台湾の「親日」イメージの否定に力を注いだためか、番組は日本の台湾統治史を弾圧、差別を伴った「異民族支配」史として捉え、その歴史をいとも簡単に断罪して見せた。台湾統治史が戦後の日本であまり語られてこなかったのをいいことにしてか、あまりにも大胆である。

    もちろんそこでは、三八年の支那事変以降の皇民化運動などは、台湾人を強制的に日本人に変えたものとして、批判のターゲットとなっていた。

    ではこの皇民化運動とは何か。番組は台湾総督府の元官僚を登場させ、この運動が軍部の要請圧力によるものだったと証言させたが、実際には台湾総督府が時代の要請に従って台湾全土を挙げて推進させたものと言える。

    ■台湾の文明開化運動ではないのか

    この運動を開始した小林躋造総督は三九年五月、「皇民化」を台湾の「工業化」「南進基地化」との産業経済政策上のスローガンと合わせ、それらを「三大標語」「三大政策」と位置付けた。

    もちろん「皇民化」が、番組が強調したように、敵国と同じ漢民族を国内に抱え込むことになった日本の同化政策であったのは言うまでもない。しかしさらに言えば、当時の日本は戦時下においてアジアのブロック経済化(東亜新秩序)を進めており、それに台湾人に国民の一部として参与させるため、国民意識の向上を求める運動だったと言うこともできる。

    伊原吉之助氏は論考「台湾の皇民化運動」で、この運動を「戦う日本人との協力運動」とし、「戦時下における治安確保」「戦時経済への協力」「南進の尖兵」をその目的と指摘する。

    「南進の尖兵」とは「真の日本民族の一構成員とし、南進の同伴者として錬成する」ことだが、当時「錬成」の組織として成功したものに青年指導者養成のための勤行報国青年隊があり、そこで「南方農民型のおっとりした青年を、近代工業社会適応型の規律ある青年に鍛えあげた」と言う。

    これを見ても感じることだが、私は皇民化運動は、かつては日本でも明治時代に行われた近代国民化の運動だと思っている。文明開化、殖産興業政策の下で不可避である住民の意識・生活改革運動であると。

    ■NHKが非難する寺廟整理は信仰弾圧か

    皇民化運動の一環として行われたものに「神社参拝の強制」と「寺廟の破壊」(寺廟整理)が知られ、信仰弾圧だと非難されるが、番組もこれを取り上げないわけがない。

    次のようなアナウンスが流れる。

    ———皇民化政策は台湾人の心の中にまで踏み込んで行く。

    ———台湾全島に日本の神社を次々と建て、参拝を強制する。

    ———そして台湾人が拠り所としてきた宗教への弾圧が始まる。

    ———道教寺院や廟を制限、建物の取り壊しを始める。

    ———新たに造られた神社には破壊された寺院や廟の木材も使われた。そして建築には近隣の台湾人が駆り出された。

    「少年時代の出来事を克明に憶えている」と言う八十歳の台湾人も証言を行う。「一九三八年、地域の寺院や廟の神々が集められ、全てが焼かれた」ことについてだ。

    こう振り返る、「日本人は神様(神像)を郡の役所に持ってくるよう命じた。従わないものは二十九日間も刑務所に入れられた」と。

    そしてその上でアナウンスは、次のように強調する。

    ———皇民化政策によって台湾人は台湾人であるという意識を大きく変えられて行く。

    しかしこの寺廟整理(統廃合)について、伊原氏は「多くの人が誤解するような『信仰の自由の抑圧』ではなかった」と言う。「少なくとも、出発点においてはそうでなかったし、推進しようと考えた人の主旨はそうではなかった」と。

    ■文明開化は伝統文化の破壊をもたらす

    寺廟整理は三七年に始まったと見られる台湾人の陋習打破・生活改善運動の上で提唱され始めたようだ。

    その目的について伊原氏は、当時の諸文書にあたった上で、「迷信の打破」「物資の節約」「火災の危険予防」の三点を指摘する。

    廟は台湾人の信仰を強く支配しており、病気になれば神籤を引いて薬を買うなど、科学的思索に慣れた日本人から見れば、工業化の時代に何が祀ってあるかわからない淫祠を放置できないと認識された。寺廟で焼き捨てられる金銀紙も爆竹による火薬も、戦時下では軽視できない浪費だった。また線香は火災の原因となる危険があった・・・と言うわけだ。

    一方、台北州新壢郡の郡守として郡内の寺廟全廃を指揮した宮崎直勝氏は手記『寺廟神の昇天』(昭和十七年)で、次の三つの目的を挙げている。

    一、寺廟信仰は本島(台湾)文化の向上を阻碍する・・・霊験を中心とする原始的な信仰であるため、往々にして淫祠邪教との区別が困難。迷信と同一視されることが多い。文化水準の低い旧慣宗教を信仰心の基調とし、精神生活の底流とするのは島民文化の向上を拒む。

    二、寺廟信仰は健全なる社会思想の涵養を阻碍する・・・著しい利己的信仰であって、いまだに小我を捨てて大義につくがごとき国民思想、乃至は社会公共思想はこのなかからは起こりえない。

    三、寺廟管理の現状を見ると、財産管理、利益の分配等について紛争を惹起することは日常的。

    宮崎氏は、このような考えに基づき、会合で寺廟の廃止案を地域の台湾人有力者、有識者たちに諮ったところ、満場一致で採択された。しかし庶民の反応はどうか。これを心配した宮崎氏は内地の大学を出た若い台湾人の郡役所職員に尋ねたところ、問題なしとして、台湾社会の状況をおおよそこう説明する。

    「人口の大多数を占める四十歳以下の者には信者がいない。青年層など寺廟など全然問題にしていない。都市生活を営む者は寺廟信仰らしいものはないようだ。大部分の者にはお祭りの芝居など娯楽の対象、葬式の神としてしか関係を持たない。ごく少数の教育を受けない爺さん婆さんが信仰する位のもの」とし、「本島人と呼ばれるのはこりごりで、我々一代でたくさん。本島人を皇民化するのは子孫への義務だ」と訴えている。

    多くの人は、この若い職員や郡の有力者たちが態度を権力への阿諛と疑うかも知れないが、それがたとえ阿諛であれ、そこに当時の時代の空気、時代の精神が反映されてはいないだろうか。

    すでに工業化時代に突入した科学信奉の昭和十年代の台湾である。台湾人エリートたちが伝統文化を蔑み、排除しようとしても何の不思議でもないだろう。文明開化時代の日本人がそうだったように。

    今日の我々から見れば強引な伝統破壊にしか映らないが、文明開化(新文明の移植)の時期には、ややもすればそうした乱暴とも言える変革手段がとられるものだ。今日の日本も、そのような伝統文化の破壊の上に成り立っているのではないのか。

    ■住民との摩擦で寺廟整理を停止させた台湾総督

    それではその急進的な「文明開化」政策で、住民との摩擦はなかっただろうか。

    『寺廟神の昇天』によれば、新壢郡内での寺廟の全廃、神像焼却(昇天の儀式)は台湾人の理解の下、無事終了したとある。「神の昇天」に庶民が無関心であったことにも安堵し、自信を強めたようだ。

    しかし伊原氏は、寺廟整理において「時と共に、強制と行き過ぎが派生した」と言う。

    三九年一月末に総督府が「民意尊重の上行うべし」との通帳を各地方長官に出しているのは、住民の反撥が大きかったからだろう。

    翌月には帝国議会でも、「信仰、生活を一挙に破壊してどんな効果が上げられるのか」との批判も出た。

    四一年には長谷川清総督が寺廟整理を「一時中止」させた。長谷川氏は戦後、「冷静に判断して就任早々、慎重な調査、研究を経た後に根本方針が確立するまで一応、停止することにして実際には寺廟整理を中止した。その結果、台湾人諸君は大へん喜んだが、私としても、甚だ快い思い出となっている」と回想しているから、整理は失策と認められたのだろう。

    もっとも、その年十二月に大東亜戦争が勃発した後、整理は再開されたとの指摘もある。石川清一氏は「民族の魂まで奪うことはできない(補遺)」の一文で、「昭和十四年に総督府は地方官僚の寺廟整理に対する行き過ぎをたしなめる態度を示したが、大東亜戦争の勃発とともに、寺廟整理が強行されるようになった」と書いている。

    これに対して宮崎氏が『寺廟神の昇天』の「はしがき」を書いたのは四二年九月。そこには自分たちが推進してきた寺廟整理が酷評され、あるいは軽い気持ちで功罪が問われ続けていることを同書執筆の動機として記しているが、その後整理が再開されたとは書いていない。

    「実際には寺廟整理を中止した」と語る長谷川総督の就任は四四年十二月までだが、その間、地方官吏によって何かしらの動きが継続されたと言うことだろうか。

    ■公式統計に照らして見る破壊寺廟の数

    番組は「道教寺院や廟を制限、建物の取り壊しを始める」としたが、取り壊しはどのような状況で進められたのだろうか。新壢郡内の寺廟全廃を行ったとする『寺廟神の昇天』は、建物の取り壊しを行ったことまでは書かれていない。

    戦後の四六年に台湾省行政長官公署が発刊し『台湾省五十一年来統計提要』に収録される「歴年各地廟宇」の統計は、まさに寺廟整理の対象となった寺廟や斎堂の、日本統治下における数の推移を示すものだ(台湾総督府の資料を基に作成したもの)。

    それによると、全島における寺廟と斎堂の数はそれぞれ、

    1919年  3292 175
    1929年  3431 215
    1937年  3469 236

    このように19年から37年までは、それぞれは年々増加を続けている。ところが寺廟整理が始まったと見られる38年から停止が命じられる41年までは、

    1938年  3471  233
    1939年  3464  233
    1940年  3408  230
    1941年  3398  231

    寺廟は73減。多くは「取り壊し」を受けたものと推測できる。ちなみに大東亜戦争の勃発後も微減が見られる。

    1942年  3394  231

    統計は42年までだが、37年から42年まで寺廟の数の推移を州庁ごとに見ると、

    台北州   523→ 524
    新竹州   387→ 369
    台中州   812→ 807
    台南州  1124→1075
    高雄州   450→ 451(38、39年は452)
    台東庁    10→   6
    花蓮港庁   10→   9
    澎湖庁    57→  57

    台北州と高雄州はそれぞれ1増加。澎湖庁は変わらず。新竹州は18減、台中州は5減、台南州は49減、台東庁は4減、花蓮港庁は1減。

    以上のように、少なくとも全島的に「取り壊し」が実施されたわけではないようだ。減少の数値を全体での割合で見ても大きなものではない。取り壊しの対象には、荒廃したもの、他の寺廟との合祀可能なものが真っ先に組み込まれたとも考えられる。

    だが上に掲げた番組のアナウンスを聞くかぎり、「道教寺院や廟を取り壊し、その木材を使いながら台湾全島に日本の神社を次々と建て、参拝を強制し、台湾人が拠り所としてきた宗教への弾圧し、台湾人は台湾人であるという意識を大きく変えられて行った」との印象を受けざるを得ない。


    ■神社参拝は「強制」されたと言えるか

    番組は寺廟整理とセットで「神社参拝の強制」を強調し、皇民化政策が「台湾人の心の中にまで踏み込んで行った」と主張する。

    しかしこの番組をたまたま日本で見ていた八十歳代の台湾人男性は、「強制、強制と繰り返しても、人によって受け取り方が違う。あの番組はちょっとずれていると感じた」と話す。戦時中、台北に住んでいたその人によれば、大詔奉戴日(大東亜戦争中の毎月八日)は学校の生徒が台湾神社を参拝した。また「隣組でも参拝したが、それは強制ではなく、参拝しなくてもかまわない。強制ではなく激励だった」と言う。「少なくても台北では、その日以外の神社参拝は求められなかった」とのことだ。

    ちなみに、ある台湾人女性は以前私に対し、「生徒のとき、参拝に行ったが遠足のように楽しいものだった」と述懐し、「強制」と言う言葉に抵抗感を示したこともある。

    大詔奉戴日の神社参拝は台湾だけでなく日本内地でも一般的に見られたことだが、日本人はそれを以って信仰の強制とはしなかっただろう。それが当時の日本人の「一般的な感覚」のはずだ。

    番組では取り上げられなかったが、皇民化運動当時、内地国民に対するのと同様、台湾にも神宮大麻(伊勢神宮の神札)の頒布運動が行われた。これもまた日本の「国民の常識」を台湾でも定着させようと言うものだが、それは台湾人家庭の正庁(仏間)の改善(神棚設置)を求めるものとなったため、寺廟整理と同様、伝統文化を損なうものとして、あるいは大麻が何かを理解していない人々への頒布はよろしくないとして、その急進性もまた日本人の間では批判の対象となっていた。

    伊原氏は戦時中の日本人にとって神棚に祈り、神社に参拝することは、宗教信仰と言うより「日本人の根源的なるもの(ルーツ)」への崇敬であり、「敵と戦う共同体の一員であることの証明」とするが、物事の本質を突いた極めて的確な指摘ではないだろうか。

    ■これでは国民党独裁時代の歴史観と変わらない

    国民党の一党独裁時代の台湾では、日本統治時代と言えば、「弾圧、搾取と抵抗の時代」と言った政治的な捉え方をされていたが、それはもちろん中国人支配者による思想統制のためである。民主化以降は台湾人が自由に真実を追究することが可能となり、より客観的に「台湾近代化の時代」との側面が着目され、そうした観点での研究が大いに進展を見せている。

    ただ「侵略戦争への台湾人動員」との側面が強調されてきたためか、皇民化運動に関する冷静な評価はいまだに難しいらしい。しかしあの運動で高まった国民国家意識が、その後の台湾人の近代社会に作用していないはずはなく、今後はこれに対する冷静な評価が必要ではないかと感じる。たとえばこれは、皇民化政策に協力し、呼応しながら戦時中を必死に生き抜いた当時の台湾人を「被害者扱いにするだけでいいのか」「台湾のために努力したと称えなくていいのか」と言う問題でもある。

    もちろん寺廟整理の歴史も客観的に見ていいと思う。近代国民創生のために断行が試みられ、行き過ぎと判断されて停止したあの政策を、NHKのごとくただ単に悪意ある宗教弾圧として片付けてしまっては、あの時代の「精神」を捉えることが難しくなる。

    ところがNHKはそうしたつまみ食いと言える歴史観を以って「私たち一人ひとりの明日を問いかけ」させようするのであるが、私はその歴史観の視聴者への押し付けをとても危惧している。なぜならそれは、政治的な思惑から「弾圧と抵抗」を強調するばかりの国民党の一党独裁時代における反日歴史観と軌を一にしているからだ。

    【参考文献】
    伊原吉之助「台湾の皇民化運動」(中村孝志編『日本の南方関与と日本』所収、天理教同友社、昭和63年)
    宮崎直勝『寺廟神の昇天』(東都書籍、昭和17年)
    石川清一氏「民族の魂まで奪うことはできない(補遺)」(山本良一編『台湾への架け橋』所収、蓬莱会関西支部、昭和56年)
    台湾省行政長官公署統計室編『台湾省五十一年来統計提要』(台湾省行政長官公署統計室、1946年)

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    総務省・ご意見ご提案の受付
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