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  • 2009年4月7日火曜日

    「台湾の声」【寄稿】鄭南榕・台湾建国烈士、自決20周年にあたって

    【寄稿】鄭南榕・台湾建国烈士、自決20周年にあたって
                           
                 宗像隆幸(台湾独立建国聯盟日本本部中央委員)

     鄭南榕・台湾建国烈士は、彼が編集発行していた週間『自由時代』(第 254号、1988年
    12月 9日発行)に、当時台湾独立建国聯盟主席だった許世楷博士が起草した台湾共和国憲法草案を掲載しました。鄭南榕烈士は、その事で叛乱罪容疑に問われて、 1月21日に検察庁から召喚状を受け取りました。しかし、鄭南榕烈士は出頭を拒否して、「国民党は私を逮捕する事は出来ない。彼等が逮捕できるのは私の遺体だけである」と宣言して、自由時代社に立て籠もり、1989年 4月 7日の午前 9時 5分、警官隊に包囲された中で自ら体にかけたガソリンに火を放ち、壮烈な自決を遂げました。それで鄭南榕さんは「台湾建国烈士」と言われるようになったのです。私は、つい先日の出来事のような感じがするのですが、あれから早くも20年が過ぎ去りました。

     鄭南榕烈士は、理論家であると同時に危険な事も率先して行う行動家であり、しかも運動を組織化する優れたオーガナイザーでもありました。

     当時の国民党の刑法では台湾独立を主張するだけで叛乱罪に該当する事になっていたので、公開の席で台湾独立を主張する人はいませんでしたが、1987年 4月18日に鄭南榕烈士は公開演説会で台湾の独立を主張し、台湾に自由で民主的な独立国家を建設する以外に台湾の活路はないと語りました。それ以後は、多くの人々が台湾独立を主張するようになりました。鄭南榕烈士は、遺書とも言うべき絶筆で、台湾独立をスローガンとして叫ぶだけでは進歩がないから、台湾共和国憲法草案を『自由時代』誌に掲載したのだと述べています。もちろん、台湾の独立とは、中華民国体制からの独立です。自由で民主的な台湾共和国を建設するためには、台湾共和国憲法を制定して、中華民国憲法を廃棄しなければならないからです。

     鄭南榕烈士は、台湾に平和で安定した国家を築くためには、いわゆる「本省人」と「外省人」のシコリを解消しなければならないと考えていました。彼は遺書の中で、こう書いています。「国民党の身分証の分類によれば、私は外省人ということになっていますが、実際には、私は100%台湾人です。私達は、どうしても本省人と外省人のシコリを解消しなければなりません。私が人力と財力を投じて、2・28事件40周年記念活動を行ったのも、この事が目的です」。この言葉の中に、鄭南榕烈士の痛切な思いが込められていると思います。彼の母は台湾人でしたが、父親は中国から来た外省人でした。鄭南榕烈士は、父親の中国人意識の強さを身近に感じており、他の外省人も殆どが強い中国人意識を持っていることを知っていましたから、このシコリを解消することが如何に困難であるかを深く認識していました。だからこそ彼は、外省人とされている自分が「100%台湾人である」と強調せねばならず、率先して台湾独立運動の先頭に立ったのでしよう。しかし、彼に賛同する外省人は非常に少なかったので、鄭南榕烈士は自分の命を捧げる事によって、彼等の目を見開かせよう�としたのだと思います。彼のこのような犠牲もあって、あれから20年、台湾人と外省人の間のシコリは随分薄らぎました。しかし、いまでも中国人意識の強い外省人は少なくありませんし、台湾人でありながら中国人意識の強い人達もいます。今や彼等が台湾で政権を掌握して、中国との「統一」を推進しています。もし、鄭南榕烈士が台湾の現状を知ったら、どれほど驚き悲しむ事でしょうか。

     かつて李登輝総統は、中国国民党の主席でありながら、台湾の実質的な民主化と台湾化を推進しました。そのあと 8年間も政権を担当した民主進歩党が やるべき事は、事実上の独立国である台湾を、台湾憲法を制定する事によって、法的にも民主的な独立国家にする事だった筈です。民進党がそれをやらなかったから、馬英九は総統になると「中国は一つであり、台湾はその一部である」と言って「統一」政策を推進するようになったのです。 民進党の綱領には「新憲法を制定する事によって、法と政治の体系を台湾社会の現実に合致させると共に、国際法の原則に基づいて国際社会に復帰する」と、立派な事が書いてあります。しかし、アメリカの反対と野党が立法院を支配している事を理由にして、民進党は一歩も前進できませんでした。鄭南榕烈士だったら、「そんな事は理由にならない。やり方はいくらでもあるではないか」と言った事でしょう。

     国連憲章には今でも、「中華民国は安全保障理事会の常任理事国である」と書かれたままで、中華人民共和国とはどこにも書いてありません。これは、中華民国は中国の領土を失った時点で主権独立国家としての資格を失い、その全ての権利は中華人民共和国に継承されたと言う意味です。1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約で、日本は台湾の領有権を放棄しましたが、台湾の帰属については何も決定されなかったので、台湾の法的地位は未定であり、国際法で認められた領土を持っていない中華民国は主権独立国家ではないのです。この事は、1971年に国連総会が可決した第2758号決議によっても承認されました。この決議には「中華人民共和国の代表が、国際連合における中国の唯一の合法的代表であり、蒋介石の代表を国際連合および全ての国際連合関係機関から即時追放する」と書いてあります。ここに「中華民国を追放する」ではなく、「蒋介石の代表を追放する」と書いてあるのは、中華民国はすでに滅亡しており、台湾で中華民国を名乗っているのは、蒋介石を領袖とする亡命者団体に過ぎないという意味です。第2758号決議案は中国の周恩�来総理が書いたものですが、中華民国を国連から追放するためには、こう書かざるを得なかったのです。2001年にアメリカ政府が機密解除した「周恩来・中国総理とキッシンジャー・米大統領特別補佐官との機密会談記録」には、周恩来も台湾の法的地位が未定である事を認めていた事が記録されています。

     すでに確立された国際法である人民自決の原則により、台湾の法的地位を決定する権利を持っているのは、台湾人民だけです。台湾人民が台湾共和国憲法を制定する事によって、台湾は台湾人民の領土である事を明確にすれば、台湾は独立主権国家として、世界の他の国々と同じように国際社会に参加できるのです。

     鄭南榕烈士であれば、大衆運動によって、台湾の主権者である台湾国民にこの事を教え、台湾共和国憲法の制定に賛成する署名を集めるような行動を取った事でしょう。2004年の2・28記念日に、台湾国民の1割が集まって人間の鎖を作ったのですから、台湾国民の圧倒的多数の署名を集める事も出来る筈です。台湾憲法の制定は台湾を法的に主権独立国家にするために必要な事であり、それが台湾国民の圧倒的多数意志である事が実証されたら、アメリカはもちろん、全ての民主国家が支持するのは当然です。たとえ民主国家でなくても、1国の国民の圧倒的な多数意志に反対する行動は取れません。中国は反対しても、その事を理由に台湾に対して武力を行使したら、世界に糾弾されるだけです。

     今こそ、台湾を守り、台湾を主権独立国家にするための大衆運動が最も必要な時です。台湾でそのような大衆運動が展開されたら、その中から台湾国民に信頼される指導者や政党が現れる事でしょう。台湾の人々の奮起を期待します。

              2009年4月5日


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