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  • 2009年1月12日月曜日

    「台湾の声」【台湾紀行】苗栗県の古道

    【台湾紀行】苗栗県の古道

    西 豊穣

    <苗栗県の地形と古道>

    苗栗県は西は台湾海峡に接し、東は台湾第二の高峰である雪山(標
    高3,886メートル)を含む雪山山脈主脈に接しています。雪山山脈
    に接する部分は雪覇国家公園に含まれています。雪覇とは雪山山脈
    中の代表的な山岳である雪山とタイヤル族の聖山、大覇尖山(標高
    3,492メートル)の頭文字を取ったものですが、同国家公園は苗栗、
    台中、新竹の三県に跨り、その総面積の半分以上が苗栗県に属しま
    す。同県は合計十八の郷・鎮・市から成りますが、その中で最大の
    行政区域面積を持つのが泰安郷で、苗栗県内の雪覇国家公園の領域
    はすべて泰安郷に内包されています。

    苗栗県の地形は従って、単純に東側県境の山岳地帯から台湾海峡の
    平野部に向かい次第に標高を下げてくるとイメージしがちですが、
    実際は雪山山脈を源頭とする河川がかなり複雑な地形を作り出して
    おり、台湾海峡側も非常に平野部の狭い地形になっています。主な
    河川は、県の北境近くを流れる中港渓、南境を形成している大安渓、
    この間に後龍渓と西湖渓が台湾海峡に流れ込んでいますが、これら
    の河川とその支流沿いに狭い沖積平野が形成され、後は山岳地帯で
    なければ低い山か丘陵地帯となっています。これらの河川の中で一
    番大きな大安渓河口は広い平野部になっていますが、殆どが台中県
    に属しており、苗栗県で最も広い平野部は後龍渓下流域です。苗栗
    県の行政中心である苗栗市はこの後龍渓と西湖渓に削り出され取り
    残された低い丘陵地帯に形成されています。台湾新幹線に乗った方
    は気付かれると思いますが、苗栗県に入ると線路は台湾海峡近くを
    走っているにも拘らず、実にトンネルが多いことです。その中で一
    番長いトンネルは苗栗市を形成する同じ丘陵地帯を貫いています。

    県中央部を台湾海峡沿岸部から東側に向かい横切ろうとすると、
    (1)まず丘陵地帯を越えて西湖渓沿いの狭い平野部を経由し広い平
    野部である後龍渓沿いに降りる。銅鑼、公館、苗栗等が代表的な街。
    (2)そこから更に低い山を越え、後龍渓の支流が形成する非常に狭
    い平野部に降りる。獅潭、大湖、卓蘭等が代表的な街。(3)そこか
    ら本格的な山岳地帯が始まります。

    台湾高速鉄道に加え、このような地形の間を三本の幹線道路がほぼ
    平行して苗栗県を南北に貫いています。即ち、台湾海峡沿いを走る
    国道3号線(福爾摩沙高速公路)、西湖渓と後龍渓沿いを走る国道
    1号線(中山高速公路)、更に、後龍渓に流れ込む河川が形成する
    狭い平野部沿いを走る省道3号線(註1)です。最近、この三本の
    幹線は後龍渓上流沿いを走る快速公路(註2)72号線でお互い連
    結されましたので、特に東部山岳地帯方面へ出掛ける便が格段によ
    くなりました。

    今般苗栗県の古道を紹介するに当り、地理的には上述した(1)、(2)、
    (3)の中から、誰でも簡便に歩ける古道を各々一箇所ずつを選び紹
    介します。地理的な条件が異なれば自然各々の古道の形成過程も異
    なりますので、次はその形成過程も織り交ぜながら紹介していきま
    す。

    <挑塩古道>

    「挑」は「いどむ」以外に「かかげる」という訓読みがあります。
    文字通り「塩の道」、沿岸部で精製される塩を塩の生産出来ない山
    間部へ運搬する為の道路です。海岸線を持つ国ならばどこでも自然
    発生的に形成される道だとは思いますが、台湾の塩の道として古道
    扱いされているのは現在の所、苗栗県のものだけのようです。但し、
    現在の古道が形成された当時からそう呼ばれていたのかどうかは大
    いに疑問です。現在の台湾の古道ブームの影響かどうか判りません
    が、「挑○古道」というのは各地でよく目にするようになりました。
    同じ苗栗県三義では「挑炭古道」というのがありますし、その他、
    「挑柴古道」、「挑魚古道」と称されているのを筆者自身歩いたこ
    とがあります。要は嘗てはこれらの物資を中心とした交易道であり、
    開発の波に洗われず運良く生き残った歩道です。

    台湾で挑塩古道が紹介される場合、必ず「虎頭[山/(土欠)]古道」
    と対で紹介されます。これら二つの古道は現在別々に道路上に標示、
    保存されており、人口に膾炙した古道ですのでサイト上に実に多く
    の紹介が出ています。但し、形成過程を説明する出所は同じだと予
    想されるのですが、各々の古道の説明がコピーの繰り返しで錯綜と
    しており、それらの関係を明確に述べた説明をなかなか見付けるこ
    とが出来ませんが、要は挑塩古道は虎頭[山/(土欠)]古道の一部
    というのが大勢です。

    それらを総合してみると次のようになります:清朝道光年間(1821
    〜1850年)に現在の苗栗県の県境を越えて延びる官道が修復・整備
    された。その中で、現在の行政区画を借りると、台中県大甲から北
    上、苑裡、通霄を経て、人気観光スポット飛牛牧場(旧南和牧場)
    辺りから丘陵地帯に取り付き、虎頭[山/(土欠)](三等三角点:
    標高322メートル)を越えて、西湖渓に降り、銅鑼を経て苗栗市に
    至る官道が一番長かった。この官道を中心にした支線を通じて、通
    霄産の塩が苗栗県各地に送られた。当時は、通霄以南の塩の産地の
    北限は現在の彰化県鹿港だった。清朝同治4年(1865年)に、雨が
    降る度にぬかり歩行困難になるので、地元の有志が義捐金を出し合
    い、卵型の石を利用し1,237段に及ぶ階段を作り修復した。これが
    今に残る虎頭[山/(土欠)]古道(或いは挑塩古道)である。

    虎頭[山/(土欠)]古道と称される道にも挑塩古道と称される道に
    も見事に敷かれた長径が20〜30センチ程度の大振りの卵型の石を見
    ることが出来ます。1,237段がどちらの道に敷かれたのかは、サイト
    上は全く正反対の説明が混在しています。前者は僅か100メートル程
    度しか残っておらず、後者は途中自動車道に分断されますが、総延
    長500メートル程度あります。どちらも非常に短い古道ですが、それ
    だけに誰でも歩けますし古道の雰囲気を十分に味わうことが出来ま
    す。尚、この卵型の石、丘陵地帯下の田圃の畦(あぜ)を形成する
    のに広く使われており、ここら一帯の田園風景を一種独特なものに
    しています。台湾の田園風景の中でも私が最も好きなものです。

    これら二つの古道は今は「銅鑼サイクリング・コース(銅鑼自行車
    道)」という自動車通行禁止の贅沢なアスファルト道路で結ばれて
    おり、その間の距離は凡そ2.5キロ。丘陵地帯の断層面に沿って設け
    られていますので、通霄方面、並びにその先の台湾海峡の眺望を堪
    能しながらの快適な歩行、或いはサイクリングが出来ます。

    これらの古道に到るには、高速1号線であれば三義インター、3号
    線なら通霄インターからアクセス出来る飛牛牧場を経由して、道路
    上の標示板を頼りにしながら九華山大興善寺を目指す方法(丘陵地
    帯に西側から取り付く)が一番簡便だと思います。自動車道が坂道
    にかかり出すとやがて挑塩古道の入口を示す、塩を担ぐ人をデザイ
    ンしたモニュメントが現れます。他方、虎頭崁古道の方は西側から
    入ることも出来ますが、途中の道が複雑で指導表も親切とは言えま
    せんので、銅鑼市街から指導標に従いながら銅鑼サイクリング・コ
    ースを目指す方法(丘陵地帯に東側から取り付く)が便利だと思い
    ます。

    <鳴鳳古道>

    鳴鳳古道は規模こそ小さいですが、古道上所々に敷かれた苔むした
    敷石とその周りの豊富な樹木の取り合わせは、これこそ古道という
    雰囲気が充満しており、それだけに古道歩きの入門コースとしては
    最適な上、普通乗用車で古道入口までアクセス出来るのも利点です。
    又、起伏が多いですが、極端に高度を稼ぐ必要もない為、適度な運
    動の機会ともなります。

    鳴鳳古道は頭屋郷と獅潭郷の境を走る最高点が500メートルをやっと
    越えるぐらいの低い山を跨いでおり、獅潭郷側に降りると獅潭の街
    に到ります。古道の名前は古道西側入口、頭屋郷側にある鳴鳳山雲
    洞宮というお寺の名前に因みます。このお寺の付近の標高が400メー
    トル強。

    冒頭の(2)で述べた「後龍渓の支流が形成する非常に狭い平野部」、
    即ち、現在の省道3号線の苗栗県に含まれる部分は、日本統治時代
    は一般居住区域(西側)と原住民居住区域(東側)の境界、当時「
    蕃界」と呼ばれた線にほぼ沿っています。鳴鳳山一帯はもともとは
    サイセット族の狩猟区域だったそうですが、清朝光緒年間(1867年)
    に黄南球(註3)率いる開墾団が入植してからは、これら漢人開墾
    者とサイセット族が鬩ぎ合っていた場所で、今でも「大銃櫃」、「
    打鍋片」等の地名が残っており当時の抗争を髣髴とさせます。古道
    東側入口の省道13号線沿いに黄南球の開墾者としての功績を讃える
    獅潭郷義民廟(苗栗県内の義民廟は合計五箇所)があり彼の銅像が
    鎮座しています。

    現在の鳴鳳古道とはこの義民廟と西側入口である雲洞宮とをほぼ真
    っ直ぐに結ぶ全長約3キロの山道ですが、この一本は古道主線と呼
    ばれるべきもので、実際はその外に、南隘勇古道、八達嶺古道、錫
    隘古道、�色古道、延平古道の五本が繋がっており、これらをひと
    括りにして簡便に鳴鳳古道と称しています。ハイカーは、例えば鳴
    鳳古道の入口としては判り易い義民廟から入っても一本の古道を単
    に往復するだけではなく、自身でコースを色々工夫しながら時間と
    体力に併せて散策出来ます。

    「南隘勇」「錫隘」の名から推測出来る様に、これらの古道は清代
    の隘勇線、つまり前述した漢人の入植後、サイセット族の襲撃に対
    する防御・防止線だったものです。前々回「台湾の声」で紹介した
    「新店獅仔頭山歩道−隘勇線」は日本時代の隘勇線ですが、隘勇制
    そのものは清代から日本統治後もそのまま受け継がれた制度です。
    但し、両者で異なる部分は、清代のものが謂わば局所的な私的な防
    衛線だったものが、日本時代は官(台湾総督府)に依る管理へと変
    遷していったことです。

    なお、鳴鳳古道へのアクセスは前述したように省道13号線を獅潭の
    街まで辿るのが便利で、義民廟の周りは親水公園風に仕立てられて
    いますのですぐ判ります。西側の東屋郷からのアクセスは少し判り
    にくいですが、苗栗県道33号線を辿りひたすら鳴鳳山雲洞宮を目指
    します。実はこの苗栗県道33号線はそのまま鳴鳳山を越えて獅潭の
    街に降りるのですが、この県道の開通のお陰で頭屋—獅潭の連絡道
    であった部分が廃り今は古道になったわけです。


    <北坑渓古道-二本松>

    冒頭(3)の山岳地帯は日本統治時代はタイヤル族と台湾総督府の抗
    争の激しかった地域に当たりますので、今でも当時の警備道(「理
    蕃道」)がかなり広範囲に残っています。北坑渓古道はその中でも
    代表的なもので、以前「台湾の声」で紹介した霞喀羅古道(石鹿古
    道)の南側に位置し、南北に伸びる現在古道として整備されている
    総延長は30キロ強あります。北端は雪覇国家公園観霧森林遊楽区、
    南端は同雪見森林遊楽区結ぶ、台湾を代表する古道の一つ、この間
    日本時代の駐在所遺構が八箇所あります。林務局が台湾古道修復・
    整備のモデル・コースとして霞喀羅古道と北坑渓古道を選び整備を
    完了させたのですが、その後台風で崩壊する箇所が続出、現在は残
    念ながら立ち入り禁止になっています。もともと上級者コースです
    し、私自身も立ち入り禁止になった後、入口から数キロ歩いて様子
    を伺った程度ですので、今回この古道自体を紹介するものではあり
    ません。尚、雪見森林遊楽区の方は雪覇国家公園内の第三番目の遊
    楽区として2008年1月に一般に開放されたばかりです。観霧、雪見
    両森林遊楽区とも標高が約2,000メートルあります。

    現在の北坑渓古道の南側入口は雪見森林遊楽区へ到る舗装された司
    馬限林道脇にありますが、一帯の地名は「二本松」と呼ばれていま
    す。雪見もそうですが、二本松も日本人が設置した駐在所に付けら
    れた名前です。現在の北坑渓古道を含む当時の原住民警備道は司馬
    限林道沿いに山を下り当時の蕃界の西側境界線、即ち現在の省道13
    号線沿いにある台湾有数の苺の町、大湖郷大湖まで延びていました。

    今この二本松駐在所跡には「丸田砲台文史紀念館」(兼展望台+ト
    イレ)の木造の瀟洒な建造物が建てられており、砲台までの1キロ
    程度の歩道が整備されています。雪見森林遊楽区を整備するに当た
    り、同時に整備された歩道ですが、嘗ての砲台戦備道、立派な古道
    です。歩道沿いには主に植生を説明する案内板が多く設えてありま
    すが、嘗て砲台があった場所には、砲台の由来と付近の遺構を説明
    した写真・図版付き中国語+日本語+英語による贅沢な案内板もあ
    ります。又、当時作られた塹壕もそのまま残っており、砲台設置か
    ら100年になろうとしていますので、驚かされます。それだけ開発
    の手が入らぬ程に山深いことの証です。

    以下は砲台に関連する二つの遺跡の案内板の抜粋(日本語部分:雪
    覇国家公園管理処に依る)ですが、砲台の由来とそれが原住民とど
    う拘っていたかが簡潔に纏められていますのでそのまま紹介します:

    「丸田砲台遺跡:明治44年(1911)に当時の台湾の佐久間総督が、
    いわゆる理蕃事業を開始し、大規模な討伐隊を組織し原住民を鎮圧
    した。同年4月から6月にかけて北勢蕃を鎮圧し、4月24日に丸田警
    部補が殉職した。そこで日本人が記念のために丸田の名前を以って
    ここに砲台を設置した。丸田砲台から大安渓を見下ろすと、当時の
    日本人が如何にこの砲台の優勢な火力で北勢群部落の泰雅族を制圧
    したかを窺い知ることができる。」

    「畳石工事遺跡:現存の畳石工事遺跡は、日本植民地時代に日本人
    が丸田砲台戦備道(歩道)を経由して、駐在所と砲台間の戦略補給
    を繋ぎ、砲台の優勢な火力を利用して梅園及び天狗部落の原住民の
    活動を監視するためのものであった。歩道の沿線にある畳石工事及
    び塹壕は、砲台に合わせて設けられた戦備施設であった。」

    又、砲台付近には他に日本時代の遺跡として二本の石柱(「森林三
    角点」と「樟林地界 第二十二号/専売局/大正十四年建設」:原文
    の一部は旧漢字)が残っており、日本時代の砲台とは別な現地の関
    わり合いを知ることが出来ます。

    司馬限林道は山岳地帯を貫く台湾でも有数の林道、日本風に言えば
    スーパー林道の一つです。この林道を二本松、雪見遊楽区まで辿る
    だけでも日本統治時代のタイヤル族対台湾総督府の確執を想像して
    みることは可能です。尚、二本松に到るには、大湖と卓蘭から入る
    方法がありますが、大湖市街から苗栗県郷道61号線に入るのが便利
    です。そのまま司馬限林道の入口に到りそこの検問所で入山証を取
    得します。雪見遊楽区までは遊客中心(ビジターセンター)の直下
    を除いては今はすべて舗装されているので安心です。(終わり)


    註1:「省道」は本来は「国道」と称すべきものだが、行政院交通
    部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。現在の台湾で
    「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称である。

    註2:「快速公路」の機能は、「高速公路」(国道)間を連結する
    為の道路で、信号が無い準高速道路である。

    註3:獅潭郷義民廟にある黄南球(1840〜1919年)の銅像下の石碑
    には、彼の生い立ちと功績が縷々と説明されているが、祖籍広東省
    とあるだけで何故か何処で生まれたかの記述が無い。実際は現在の
    桃園県楊梅の生まれ、二十歳になる前に苗栗県へ移り住み、三湾、
    南庄、獅潭、大湖一帯の最初の開墾に従事、日清戦争時は抗日グル
    ープを組織、同戦争後は大陸に渡る。その後、台湾総督府から新竹
    庁参事に乞われたとされる。


    西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
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