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  • 2008年11月30日日曜日

    「台湾の声」【論説】通用ピンインと訣別し、混乱から抜け出しつつある台湾の言語政策

    【論説】通用ピンインと訣別し、混乱から抜け出しつつある台湾の言語政策

                        多田恵

    1.「台湾客家語ピンイン方案」の公告

    10月6日、台湾の教育部は「台湾客家語ピンイン方案」を公告した。
    これは、客家(ハッカ)語のローマ字表記の規則である。

    実は、客家語のローマ字表記の規則について、教育部は、1998年
    に「台湾客家語音標系統」(略称:TLPA)、2003年に「台湾
    客(家)語通用ピンイン方案」(略称:通用ピンイン)を公告してい
    る。

    2003年の「台湾客語通用ピンイン方案」と、今回の「台湾客家語
    ピンイン方案」(以降、「客家語ピンイン」と呼ぶことにする)との
    違いは、実際にはそれほど大きくない。

    たとえば、客家(ハッカ)という言葉を、

    通用ピンインでは、「Hak ga」
    客家語ピンインは、「hag ga」

    と表記する(ここでは声調記号は省略する)。

    客家語は、それを母語とする客家人が台湾の人口の約13.2%を占
    める。いわゆる台湾語(つまり、中国が「ビン南語」と呼ぶところの
    ホーロー語)に次ぐ言語である。

    上で見たように、今回の客家語ピンインは、それまでの通用ピンイン
    との違いは、少ない。

    それなのに、なぜ、わざわざ変えたのだろうか。

    これには、通用ピンイン派の影響力の低下が反映しているという背景
    がある。


    2.通用ピンイン運動の経緯

    通用ピンインというのは、1998年に、当時、中央研究院民族学研
    究所に所属していて、後に契約が更新されなかった社会心理学者の余
    伯泉氏が発表したものだ。中国で用いられている漢語ピンインを一部
    改変して、台湾で行われている中国語(北京語)、台湾語、客家語を
    同じルールで表記しようとするローマ字表記の規則である。台湾語部
    分は、日本在住の許極[火敦]氏がアドバイザーかつ推進者であった。

    それまで台湾では、中国語のローマ字表記は、ウェード式が広く用い
    られていた。ウェード式は、1867年に駐清国イギリス大使館中国
    語秘書のトーマス・ウェードが考案したもので、その後、中華民国政
    府でも採用されたローマ字規則である。中華民国パスポートでは、一
    般的にこれが用いられていた。

    ところが、中国では1958年以来、漢語ピンインを推進しており、
    これが今では中国語のローマ字規則として世界に公認されている。

    たとえば、「中華」「台北」を、

    ウェード式では、「Chunghua;Taipei」
    漢語ピンインでは、「Zhonghua;Taibei」

    と表記する。

    通用ピンインが発表された背景には、台湾でも、中国が世界に認めさ
    せた漢語ピンインを導入すべきではという議論があったことである。

    漢語ピンインを百パーセントそのまま取り入れるというのは、当時の
    台湾の状況では、心情的に受け入れにくかったのであろう。

    そこで漢語ピンインにいくつか手を加えた通用ピンインが、提案され
    たというわけである。

    通用ピンインで、「中華」「台北」は、
    「Jhonghua;Taibei」と表記される。

    通用ピンイン推進派は、通用ピンインは、台湾語や客家語でも使える
    と主張して、実際に、台湾語や客家語を通用ピンインで記す方法を提
    案した。

    台湾語や客家語は、1950年代から、1980年代まで、「(中)
    国語推進」の大義の下に、禁止されるなどの抑圧を受けた。

    李登輝政権下の民主化により、台湾語や客家語は息を吹き返した。通
    用ピンインが提案された頃、「母語教育」あるいは「郷土言語教育」
    として台湾語や客家語が力を得つつあった。

    通用ピンイン推進派は、これをうまく利用した。通用ピンイン派は、
    民進党政権に取り入って、2003年2月に「台湾客語通用ピンイン」
    を、同年9月に「中文訳音使用原則」(通用ピンインが示されている)
    を、教育部から公告させた。

    つまり、客家語と中国語について、通用ピンインを採用させることに
    成功したわけである。


    3.台湾ローマ字−教会ローマ字派とTLPA派の連合−による通用ピンインへの抵抗

    しかしながら、通用ピンインは、台湾で育ったものではない。いわば
    中国から接ぎ木されたものだ。通用ピンインが教育部に採用される前、
    1998年に、教育部は、台湾語と客家語の発音表記用に「台湾ビン
    南語音標系統」、および前述の「台湾客家語音標系統」を公告してい
    る。これは、TLPAと呼ばれている。

    TLPAは、主に師範大学系の台湾語・客家語研究者からなる「台湾
    語文学会」が、民間で百年以上用いられている教会ローマ字(白話字)
    を元に提案したものだ。

    通用ピンインに対して、TLPA支持者および教会ローマ字支持者は
    反発した。一つには次のような違いがあるからである。

    たとえば、台湾語の「台北」を、

    教会ローマ字では、「Tai−pak」
    TLPAでは、「tai pak」
    通用ピンインは、「Dai bak」

    と表記する。

    そこで、TLPA支持者と教会ローマ字支持者は、連合して、通用ピ
    ンイン派に対抗した。その結果、TLPAと教会ローマ字の互換性を
    図った「台湾ローマ字」(略称:台羅)が、2006年、教育部から
    「台湾ビン南語羅馬字ピンイン方案」として公告されたのである。

    台湾ローマ字では、「台北」を、「Tai−pak」と表記する。

    つまり、台湾語のローマ字表記は、通用ピンインに取られないで済ん
    だのである。


    4.馬政権下での通用ピンインの否定

    民進党政権が下野して、馬英九が就任した後、9月6日、行政院のチ
    ームが中国語のローマ字表記として、中国の漢語ピンインを採用する
    ことを決議した。これで、中国語のローマ字表記から、通用ピンイン
    が外された。

    そして、10月6日の「台湾客家語ピンイン方案」で、客家語のロー
    マ字表記からも、通用ピンインが外され、「通用ピンイン」は一過性
    の現象として、少なくとも政策の上では、完全に過去のものとなった
    のである。

    10月6日の「台湾客家語ピンイン方案」は、これまで、台北市の客
    家事務委員会が出版した辞書などで用いられており、一部の客家語研
    究者が推進していたものである。つまり、一定の基礎を持っている。

    したがって、今後台湾では、台湾語は2006年の「台湾ビン南語羅
    馬字ピンイン方案(台湾ローマ字)」、客家語は2008年の「台湾
    客家語ピンイン方案」、中国語は中国で1958年に制定された漢語
    ピンインが用いられることになる。原住民諸言語については、以前か
    ら用いられていた教会ローマ字が、2005年に「原住民族語言書写
    系統」として教育部から公布されている。


    5.まとめ

    通用ピンインは、中華民国体制との関係が曖昧であった民進党政権時
    代のあだ花であった。

    皮肉にも、親中的な馬政権下において、教育部の政策から、通用ピン
    インが排除され、中国語は中国語らしく、台湾語は台湾語らしく発展
    していくことが出来るようになったのである。これを単に、馬政権の
    親中政策のみの影響と見ることはできない。なぜならば、教育部の担
    当部門である国語推進委員会の委員は前政権が任命したメンバーの任
    期途中なのである。ただし、台湾で政策の修正が浸透するには時間が
    かかる。しばらくは、通用ピンインの影響がある程度残るかもしれな
    い。

    なお、「中華民国」が、中国語の表記に、それまで用いていた、ウェ
    ード式系統のローマ字規則ではなく、2003年以降、通用ピンイン
    を含む漢語ピンイン系統のローマ字規則を採用したことは、国民党と
    共に中国から逃れてきた中国人たちが、中国共産党への文化的抵抗を
    諦めたことを意味している。「中華民国」政府は、独自の中国語検定
    試験を行うなどしているが、台湾と中国の交流が進みつつある今、
    「中華民国」文化の中国への投降に歯止めをかけることが出来るのだ
    ろうか。

    台湾語、客家語、原住民族諸語の発展によってこそ、台湾を独自の存
    在として世界に示すことができるのである。


    2008年11月30日


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