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  • 2008年11月2日日曜日

    「台湾の声」【疑問】 10 月 25 日、台湾の光復節とは・・

    【疑問】10月25日、台湾の光復節とは・・・

    日本李登輝友の会千葉県支部ブログ「千葉発日台共栄」より転載
    http://blogs.yahoo.co.jp/chibanittai/45758621.html

    1945年10月25日に台北市で安藤利吉総督と陳儀行政長官の間で降伏式が執り行わ
    れ、これで台湾は中華民国に復帰した・・・と日本人も台湾人も刷り込まれてき
    た。

    ところが、最近になって台湾関係の識者の中では10月25日は日本政府・台湾総督
    府が統治権を凍結されただけで中華民国に復帰などしていないという事が常識に
    なっている。
    つまり、この日を以って台湾人が中華民国人になったと言うのも当然うそで、台
    湾人は国際法上は1951年9月8日のサンフランシスコ条約で日本が放棄するまでは
    日本人であったのです。(降伏式に中華民国側から台湾人の国籍変更の要求があっ
    たが、それは国際法上適切ではないので断ったという話もある)
    だから228事件は日本国内で外国人である中華民国人によって日本邦人が虐殺され
    た事件なのである。

    その変化と言うのは意外なところに見て取れる。
    旅行ガイドブック発行で有名な「昭文社」の10月25日の記載である。

    2000年1月に2版12刷発行(つまり初版はもう少し前)の「エリアガイド海外/5台湾
    」のP229に台湾の祝祭日のリストが掲載されているのだが、10月25日を「光復節
    ・日本から中華民国に復帰した日」と書いてある。ちなみにこの時は国定休日で
    あった。

    ところが、2006年1月に初版発行された同じ昭文社の「新個人旅行台湾06-07」のP16
    の「台湾の祝祭日」では10月25日光復節を「台湾が日本の統治から離れ、中華民
    国の統治下に入った日」とある。どこにも中華民国に復帰とは書いていない。
    そして国定休日からは外されている。

    李登輝友の会をはじめ、台湾関係の識者や読者も含めた活動の中で、台湾に関す
    る「うそ」が指摘されて、正されてきた成果の一つであると思っている。
    だから国籍表記問題にしても長崎県の問題にしても官庁がタジタジになるぐらい
    にしつこく訴えかける、働きかけることが大事であると思う。

    中華民国と言うのは連合国軍から台湾の暫定統治を委任された暫定統治機構と言
    うのが正確な姿です。中華民国はカイロ宣言を持ち出して台湾の所有権を主張し
    ていたが、そのカイロ宣言はサインもなければ条約ではない、単なる「プレスリ
    リース」に過ぎない。国際法上の効力が何も無い。
    このカイロ宣言の無効性もここ数年でようやく明らかにされてきた。

    その中華民国は国連での議席は中共が中華民国名で居座っていて、国際社会での
    正当性もない。
    中華民国の実体は「中華民国を名乗って台湾を統治している」何かの集団と言っ
    たところか

    最も、中華民国も占領統治機構から数十年たって民主化され、独自の通貨に独自
    の軍隊も持ち、更にはどこの国にも所属していないと言う、国家としての要件を
    ほぼ満たす姿になっている。
    ここ数年の李登輝氏は台湾は実質的に独立した国であるが国家としては正常な姿
    ではない、としている。
    確かに「中華民国在台湾」と主張していた時期もあるが、今となっては建国の為
    の一つの途中経過であろうと解釈できる。
    で、正常な姿と言えば独自の憲法を制定し、国の名前を正すという事だと思う。

    1945年8月15日の終戦から10月25日までの70日間、台湾では一部日本人の官吏に対
    する台湾人の報復的な活動がなかった訳ではないが、概して言うと治安がよく世
    情も安定していた。また、疎開していた日本人の住宅はカギがかけられていない
    ケースも多かったが、終戦後に自宅に戻っていると何も盗まれていなかったと言
    う話もある。

    1945年10月17日にアメリカの第七艦隊に乗って中華民国軍が基隆に入港した。
    その頃になると日本人教師は何も言えず出来ずであったというが、台湾人生徒は
    「祖国光復」と言う言葉により、基隆に中華民国軍を歓迎する為に出向いたとい
    う。
    朝8:00入港と言う話で基隆の港に行ったはいいものの、何時間経っても来ない、
    結局やってきたのは17:00である。時間厳守と言う社会風習は一瞬にして吹き飛ん
    だ。

    入港してきた中華民国軍は漫画のらくろに出てくるシナ兵そのものだったといい
    ます。

    わらじを履いて、鍋を背中に背負ったり、天秤棒を担いでいたり、当然服装はヨ
    レヨレで隊列はグチャグチャ、ツバを吐いたり手鼻をかんだり、だらしないの一
    言出迎えた台湾人は生徒も先生も「絶句」だったらしい。呆れてモノが言えないか

    中華民国軍兵士たちは勝手に路上にバラックを建てて住み、店では代金を払わず
    に食料をネコババしたり、そこら中に排泄をしたり、水道の蛇口を壁に差し込ん
    で「水が出ない」と言って金物屋とトラブルを起こしたりと台湾国内では眉をひ
    そめたくなる行為ばかりを繰り返していた

    今でも省籍対立が解消されていないのも「独立派が対立を煽っている」面は全く
    無いとはいえないのだろうが、そういう表面的な事ではなく、本質は終戦直後の
    このような出来事も根の部分にあると思う。そうなると根が深いという事になり
    、やはり一日二日で何とかなるような問題でもないのかも知れない。

    台湾は馬政権が予想以上に中国に傾倒している。
    中国との平和というモノは当然否定するつもりはないが、1945年に中国人との本
    性を体に叩き込まれた台湾人は、馬氏が考えているほど甘い相手ではないと言う
    のを知っている。
    馬氏の不支持率の67%とかなり高いですが、そういう事もあるのだろう。

    中国による悲劇を繰り返さないためには台湾は制憲正名に向かって台湾内で一致
    協力して行動する事が肝要であると思う。もう藍も緑もなく、台湾を尊重する勢
    力は力を合わせるべきでしょう。
    本当の敵は国民党・民進党お互いではなく、中共であるという事を日本人も含め
    て認識しなければならない。

    現状維持でもいいではないか、と言う勢力もいると仄聞するが、現状維持と言う
    のは何もしなければ水が上から下に流れるように勢いのある方、つまり中国によ
    る併呑に流れてしまう。
    制憲正名運動を精力的にやってきたから何とか現状を維持していると見るほうが
    正しいと思う。

    加油台湾、加油日台共栄

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