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  • 2007年10月15日月曜日

    「台湾の声」【同志に告ぐ】我々は必ず成功する・神様の義に適う台湾の建国運動

    【同志に告ぐ】我々は必ず成功する・神様の義に適う台湾の建国運動

    転送転載歓迎!

               「台湾の声」編集長林建良(りんけんりょう)

    ●台湾に対する「出エジプト記」の啓示

    ご存じと思いますが、聖書にはモーゼという人物が登場します。モーゼはエジプトの王宮で育ったイスラエル人で、神様の指示により、イスラエルの建国の為、エジプトで奴隷になっているイスラエルの同胞を率い、神様の約束した乳と蜜の流れるカナンの地を目指しました。モーゼはエジプトを脱出することには成功しましたが、その後四十年間に亙って荒野をさまよい、結局はヨルダン川を渡れず、カナンの地へは到着できませんでした。そしてモーゼの死後、若いヨシュアがイスラエル人を導き、ようやくカナンの地でイスラエルを建国したのでした。

    現在の台湾はまさに、エジプトを脱出しながら荒野をさまようイスラエル人そのものです。

    戦後台湾人は、中国国民党の独裁政権下で、二・二八事件で非常に悲惨な目に遭い、その後も白色テロ政治により、数十年間に亙って圧迫を受けました。当時の台湾人は、「中華民国体制」の奴隷そのものでした。たしかに経済面では一定の自由は認められていました。しかし精神面、あるいは文化面においては、相当の迫害を受けたのです。まさにこれはイスラエル人と同じでした。

    今日、台湾人は完全な民主と自由を享受しています。これはエジプトからは出ることができたということでしょう。しかし、ヨルダン川を渡ってカナンの地で自分の国を建設しない限りは、

    奴隷が荒野をさまようのと何等変りはないのです。

    モーゼが四十年間、荒野にいた時、多くのイスラエル人は、

    「なぜ我々を連れ出したのか」と彼を責めました。

    そして、

    「もし我々がエジプトに留まっていたなら、少なくとも食べ物、着る物には困らなかったし、荒野で苦しむこともなかった」と怨んだのです。

    そして、かなりの人が神さまに背を向け、建国の目標を放棄したのでした。多くの人が、

    「建国という危険で困難なことで命を落とすより、奴隷のままの方がいい」

    と考えたのです。

    これは目下の台湾の状況とよく似ています。多くの台湾人は、

    「生活に困らなければいい。なぜ建国が必要なのか」と考えているのです。

    しかしイスラエルは、最後にはヨシュアのような若者が出て、建国されたのでした。一人ひとりが公正な待遇を受けるということは、神様が約束したことなのです。神さまは、人が奴隷ではなく、公義ある生活、つまり公平で自由な生活を送るよう望んでいるのです。生活がいかに良くても、奴隷であるよりは自分の将来を選択することのできる自由な人間の方がいいに決まっています。

    これも台湾人が建国をしなければならない理由の核心です。

    ●国家目標の明示は指導者の基本的義務

    勿論、台湾の現状は相当に複雑です。対岸には中国という危険な存在もあります。しかしいかなる時代においても、政治というものは複雑で困難なものなのです。だから常に求められるのは、いかなる挑戦にも立ち向かえる勇気と責任感ある指導者なのです。

    正常な国家であっても、指導者は国家の進む方向を人民に知らせる責任があります。まして国際社会で国として承認されない台湾の場合、国家をどの方向へ引っ張っていくかを明示することは、指導者の最低限の義務になっているのです。

    政治には権謀術数はつきものですが、だからといってそれが政治の常態ではありません。やはり一番重要なのは信用であり、権謀術数は政治の一部分でしかないのです。それは国際問題を解決する為、戦争という手段をとることがあっても、戦争は国際問題を処理する常態ではないのと同じです。政治指導者は敵対する相手には権謀術数を使っても、それで人民に臨むことはできません。

    ●人民に対しては誠の心が必要なのです。

    人民には「何を行いたいのか」 「どの方向に進みたいのか」を伝えなければなりません。政治権力の基礎は人民による付託です。選挙で選ばれた指導者は人民が付託した使命を遂行しなければならないのです。それが民主主義であり、主権在民の精神というものでしょう。

    もしも指導者が人民を裏切れば、相互信頼に支えられた社会の道徳体系が動揺します。このような危機は、一個人、一政党の力では解消できません。

    ●花火は灯火に代えられない

    台湾の政治家の多くは、実際に優秀であり聡明です。しかし、社会全体の浮薄さの中で、しばしば理性的判断を失っているのも事実です。たとえば、メディアに顔を出せば選挙民の支持率も高まると考え、記者会見や派手なパフォーマンスばかりが政治家の責務だと錯覚しているようです。

    しかし、記者会見は所詮商品展示会のようなものにすぎません。展示会は消費者相手に商品の用途や機能を説明する場だけであって、実際その商品を使える環境などないわけですから、展示会ばかりに時間と空間を取られて、消費者が商品を使う機会が奪われたら、それこそおかしなことです。

    毎日のように記者会見を開く与野党の政治家には、「それでいつ政策や国事を考えるのか」と聞きたいのです。勿論、人民にしても、彼らが記者会見を開く本当の目的は何かを考えます。そして「これはただ相手を中傷する道具であって、大した意味はない」と思うわけです。

    パフォーマンスばかりなら、取るに足りない茶番だと、更に人民に厭きられているのです。

    パフォーマンスは単なる花火なのです。どんなに華やかな花火よりも、人民が求めているのは、やはり明るい照明であるわけです。もっと撲実で、常に明かりを照らしてくれる指導者が求められているのです。毎日のように花火を打ち上げられても、ただ煙がこもるだけで、かえって照明の邪魔になるだけです。このような政治家の為に、庶民の生活が犠牲になっているわけで、実に困ったことです。

    このほか、メディアですが、これが第四の権力と呼ばれるのは、その影響力の大きさと、政治指導者を監督する責務があるからです。指導者はメディアの報道には虚心であるべきで、またそれを通じて社会の動向を掴まなくてはなりません。しかし、それと同時に、メディアがいったいどれほど民衆の声を代弁しているのか、実際にそれが国家利益と一致する姿勢を持っているのかどうかも判断しなければならないのです。つまり、メディアの報道が客観的で公正かどうか、国家や社会の事実をきちんと伝えているかどうかを、指導者は自分の知恵で判断しなければならないのです。

    指導者は人民の声に耳を傾けなければなりませんが、メディアがあらゆる民衆の声を反映するものではないことも知っておかなくてはなりません。メディアの反応ばかりを気にして、その為に自分の進むべき方向性を見失うと、結局は民衆から軽視されるだけでしょう。

    なぜなら、既に台湾の政治家の多くは、マスコミが作り上げた虚像に浮かれ、民衆の存在をすっかり忘れているからです。

    ●真の公義と平和のために必要な台湾建国

    台湾は正常な国家とはいえません。だから、台湾は建国しなければならないのです。神様は、台湾を中国に押しやるのではなく、公義ある平和な天地をもたらしてくれると信じております。なぜなら、中国には公義と平和がないからです。たとえ中国が経済上いかに発展しても、この国が基本的に人権と自由を尊重しない国家であることには変りありません。

    中国社会科学院の報告を見ると、この国の社会は四%の既得利益者と九十六%の奴隷で構成されているということが分かります。朱鎔基前総理も、国の財富の五十%が一%の人間に集中していることを認めていました。

    中国の農民の悲惨さは、農村報告を見るだけで理解できるのです。しかし、農民が悲惨な生活を送る一方で、少数の既得利益者は富の圧倒的部分を享受しているのです。こうした富の蓄積の殆どは、政治と企業の結託によってもたらされたものです。簡単に言えば、共産主義の名の下における資本主義という矛盾の中で、腐敗構造が広まっているということです。

    この点からも中国が依然独裁帝国であることが分かります。このような帝国に公義も自由も専厳もありません。いかに経済が成長しても尊厳がなければ、モーゼの時代のエジプトと同じです。

    台湾人はもし奴隷になりたくなければ、建国の道を進むしかないのです。これが台湾人の進むべき唯一の道だと確信しています。脅迫を恐れ、後退することがあっては、尊厳も保てないし、本当の幸福も得られません。公義も尊厳もない富裕社会など、腐敗と堕落と凋落を生むだけです。

    そして最終的には民族の滅亡へと進むでしょう。

    自分の子孫が危険な目に遭わないよう、今の問題は我々の代で解決したいものです。一人の台湾人として、台湾の将来に対して、次の世代に対して、いかに責任を負うかを考えなくてはならないのです。

    国家の前途は個人の前途と同じで、予期できないことがたくさん待ち受けています。とくに建国への道は平坦ではありません。指導者も時には自信を失い、判断に迷い、目標すら見失ってしまうこともあるでしょう。モーゼもまさにそうだったのです。彼は何度も一人で山に登り、神様に助けを求めていました。人というものは、大自然や歴史、そして神様の前では無力です。しかし、自分の無力さを認めることが本当の勇気なのです。自分の無力さに対処できるかどうかで、指導者の良し悪しは決まります。

    モーゼは困難を乗り越える為、神様にすがりました。これは彼が自分の弱さを認めることのできる指導者だったということです。

    ●台湾丸は方向を見失ってはならない

    公義に適うことは、神様の意思に適うことであり、神様は必ずお応えになります。台湾の建国は完全に公義に符合していますから、神様は私達の願いを受け入れてくれる筈です。どんなに大きな試練があっても、神様はきっと支えてくれるでしょう。

    どの指導者も、国家を導いていく上で、ビジョンが必要なのです。指導者は人民をどこへ導いていくのかを説明する責任があります。ただ、目標が遠大であればあるほど、困難や障害が増え、計画通りに事は進まなくなって行くものです。なぜなら、往々にして予想外の事態が発生するからです。それは人為のものもあれば、そうでないものもあります。良い指導者でも、全ての事柄を把握しているわけではありません。寧ろそのようなことは不可能です。

    予想外の事態に直面した時、それが国家にどのような影響を及ぼすかを、迅速に判断できるのが優れた指導者です。そして、どのような事態に臨んでも、それを国家にとってよりいい方向に持って行く、あるいは、被害を最小限に留めるということも大事です。そしてもっと重要なことは、いかなる事態にあっても、全力を上げて国家を大目標の方向へ導くことができるかどうかです。これが人民が期待する指導者の能力というものです。人民はそのような期待を抱いて、権力を指導者に付託しているのです。

    台湾の建国も同じ道理です。建国への道が平坦であるなどと思っている人はいません。モーゼがエジプトを出てカナンの地を目指した時と同じです。モーゼは最後はイスラエル人をカナンの地に導くことはできませんでしたが、それでも彼は最後まで建国の目標を放棄しませんでした。たとえイスラエル人が失望落胆し、自己を見失っても、彼だけは建国を諦めなかったのです。これが指導者としての模範的な姿勢でしょう。国家の指導者というものは、いかなる困難にぶつかっても、その為に理想や目標を忘れたり、変えたりしてはならないのです。

    台湾の状況も同じです。もし建国の目標が達成されなければ、一切がおかしくなります。政権運営は船長が舵を取るのと同じだということです。船長は船がどこに向かっているかを掌握すると共に、船の安全も守らなくてはなりません。船を危険海域に持って行ってはならないのです。

    今日の台湾を一般の船にたとえるなら、この船にとって最も危険な海域は中国です。

    理由は簡単です。中国は世界で唯一、台湾武力侵略を明言している国家だからです。それでは最も安全な水域は何かといえば、やはり台湾の建国です。なぜなら、それがあって初めて台湾人には運命共同体意識が生まれ、外敵から自分達を守る為に力を結集することができるからです。

    船が方向性を見失い、危険水域に入ったとします。船長を含む乗員の全てが生命の危機に瀕した時、最高責任者である船長はどうするべきか。仮に船長や船員が危険を察知できず、しかも実権争いなどをやっていたら、その船はいずれ沈没することでしょう。沈没したら実権も何もないわけです。ところが、今の台湾はまさにこれなのです。誰が台湾丸の舵を取ろうとも、中国という危険水域に向かう以上、待っているものは滅亡なのです。

    ●真実自然

    李登輝前総続が最も好んで用いる言葉は「真実自然」、あるいは「誠実自然」であります。

    これは、おそらく彼は国家指導者としての十二年間において、人の知恵というものは神を超えることはできないということを深く感じたのではないでしょうか。どんなに優れた計算や権謀術数によっても、「誠実」というものにはかないません。人民を納得させ、動かすには、どんなに巧妙な言説を用いても、そこに「真実」がなければ駄目なのです。どんなに華やかな舞台で立派な格好を見せても、「自然」がなければ誰も感動しません。

    最後に、あるアメリカの神学者の祈祷の言葉を紹介したいと思います。彼はこういいました。

    「神よ、変えることのできないものを受けいれる冷静さを、変えることのできるものを変える勇気を、そして両者の違いを見分ける知恵を、私達にお与えください」と。

    冷静に事実を認め、勇敢に困難に臨み、心を合わせて努力し、前に向かって進むことが大切なのです。

    ともに励ましあって、邁進しましょう。

    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html

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