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  • 2007年10月20日土曜日

    「台湾の声」【論説】プロパガンダとしての南京事件

    【論説】プロパガンダとしての南京事件

    自由主義史観サイトより転載

    http://www.jiyuu-shikan.org/tokushu4_tanaka.html

              田中秀雄(日本近現代史研究家・自由主義史観研究会会員)

    支那事変が始まってほぼ5ヵ月後の昭和12年12月13日に、日本軍によって中華民国の首都南京が攻略占領されました。

    その際に、日本軍は、虐殺、掠奪、強姦、放火といった残虐行為をやったと批判されています。これが南京事件です。中国側が言うその虐殺数は公式に30万人ということになっています。しかし南京市内の安全区に収容されていた人口は約20万人である以上、それ以上の人間を殺すことなど実際はできない相談です。

    ここで私たちは事実と宣伝とは違うということをまず肝に銘じておかなければいけないのです。私たち普通の日本人はテレビのCMに間違いがないことを前提として生活しています。そこに出てくる商品の品質をほぼ疑わないものです。もしその商品に不都合があればリコールもできるのです。

    しかしたとえば国際関係で敵対する国家間では、相手側を打倒するためにあらゆる手段がとられます。戦争もその一つですが、そのほかに謀略や宣伝=プロパガンダというものもあるのです。簡単に言えば嘘八百を並べ立てるわけです。えげつない話ですが、それもまた国民を一つにまとめていく方法でもあるわけです。そしてプロパガンダは相手側を屈服、あるいは第三国を味方につけることにも利用されます。

    "南京事件"というものの構造もまたこの図式から離れて理解することはできません。真実と宣伝を明確に区別するところから南京事件の問題の解明は始まります。

    実は南京攻略以前から日本軍が虐殺、掠奪、強姦、放火という行為をしていたと非難していた人物がいます。中国共産党を率いる毛沢東で、昭和12年10月25日のイギリスの記者バートラムとの談話の中においてです。むろんこれは英語で欧米の新聞雑誌に載ることになるわけです。毛沢東は欧米記者の取材に応じることで、日本軍の残虐性を宣伝することができたのです。しかしなぜかワンパターンのような気がします。

    こうした敵側の残虐性を宣伝攻撃するということでは、中国は昔から伝統があるのです。『揚州十日記』という書物があります。明の末期、清の兵隊が中国を攻略し、南京の近くの揚州という城郭都市を攻撃し、十日間で80万人もの虐殺事件を起こしたとされる記録です。そしてこれは清朝末期に「滅満興漢」の旗印の下に革命運動が始まったとき、敵愾心を掻き立てるためのバイブルとなりました。

    清は満州族の王朝で漢民族にとっては異民族ですが、同じ民族でも敵となれば「虐殺、掠奪、強姦、放火」というプロパガンダは遠慮なく使われます。これは蒋介石の国民党軍が昭和2年の北伐のとき、敵である張作霖や張宗昌軍を攻撃するために撒いたビラです。

    戦前の有名な支那学者である長野朗は「蒋介石は宣伝で北伐を完成した」と言っていますが、それはまさにこのことなのです。

    日本軍による南京攻略もまた、宣伝=プロパガンダに長けた中国人にとっては格好の素材でした。なにしろ毛沢東もいっているように、虐殺行為は陥落前から決まっていたのですから。彼らにとっては、戦争には宣伝が不可欠です。日本人は戦争は軍人が武器を取ってするものとの固定観念がありますが、中国人にとってはある意味で、宣伝が武器よりも優先するのです。プロパガンダが世界に認められたとき、始めて抗日戦争は彼らにとって勝利となるのだということを忘れてはなりません。むろん私たちはその虐殺なるものの事実の上に屈服謝罪しなければいけないのです。ですから「平和友好条約」という戦争終結宣言など実はあまり意味がなく、空手形に終わりかねないということです。

    日本軍による南京での虐殺、掠奪、強姦などは当地滞在の欧米人たちによってまず報道されましたが、その速さと手際のよさは、国民党の宣伝機関と深く事前に結びついていた可能性が高いと思われます。当時は世界的に左派リベラルと共産主義が結びついていた「人民戦線」の時代で、"中国を侵略する日本"という図式は確固なものとしてあり、欧米の世論は日本非難に傾きがちだったのです。また盧溝橋事件が起きた時点で、中国では共産党と国民党が合作し、手を握っていました。共産党が宣伝に巧みなのは今も昔も変わりません。

    また南京在住の宣教師たちや安全区委員会代表のジーメンス支社長だったラーベとかはその中国在住期間が長く、布教活動やその利害において国民党政府と深くつながっていた関係にあるのです。彼らによる日本軍非難の言動や著作の信用性には一定の枠がはめられなければいけないと思います。

    一例を挙げましょう。南京虐殺を最初に著作にしたといわれるティンパリーの『戦争とは何か?』は北村稔氏や東中野修道氏によって、国民党宣伝部の意向によって書かれたということが判明しています。昭和13年に出ているその日本語版には鹿地亘と青山和夫の二人の日本共産党員の序文がついています。これだけで、どういう意図の下にこれが書かれたかは分かろうというものです。プロパガンダなのです。書いてある内容はグロテスクとしかいいようのないおぞましいものですが、日本の飛行機は「日機」と書かれ、日本留学経験のある中国人によって書かれた可能性が高いのです。ですからティンパリーは英訳に使われただけという可能性もあります。

    このグロテスクさというのは、『揚州十日記』などの中国伝統の"屠城文学"の内容とほぼ同じで、ラーベの日記として知られる『南京の真実』もそういうたぐいの屠城文学なのです。事実というより、宣伝=プロパガンダに利用するために書かれたものといったほうが正確でしょう。

    中国の宣伝活動の用意周到さは、日本国内でのいわゆる"百人斬り競争"報道をうまく宣伝に使えると理解していたことでも理解できるでしょう。この東京日日新聞の報道はどう見ても、漫画チックな武勇伝与太話にしか過ぎませんが、これは日本軍の残虐性を日本が報じたとして、『戦争とは何か?』に採録されているのです。 日本人の無邪気なところは、こういう記事が敵側に利用されるという意識が皆無なところです。戦争は武器での戦いと思い込み、宣伝などとは思いもよらない。こうであっては、戦後すぐにGHQの意向で始まった「真相はこうだ!」というラジオ放送も、ちり紙にインクがすぐ浸み込むように真実と受け取るでしょう。

    支那事変が始まったとき、我が国の報道機関は、どうして通州事件のおぞましい残虐写真を世界にばらまかなかったのでしょうか?日本の軍事行動を世界は支持せざるをえなかったでしょう。いい意味でも悪い意味でも日本人は善意で真面目なのです。

    現在も南京虐殺を信じる人がおり、プロパガンダが続いているのは、そうした日本人の瞳の中に星が浮かぶような天真爛漫さが利用されているのです。

    『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html

    『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)

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